本日は、涼サン と打ち合わせ。
約2時間、白熱したビジネスのお話となりました。
つーか、涼サンとまともな内容で
会話するのは久しぶりかも。。笑
俺、やるよ!!
そんな最中、ケンウ から電話が。
珍しく飲みの誘いなので、その場所に
行ってみると、、、
案の定、ヒロム 、今井諒、秋定麻紀子という
ヤクザなメンツ……苦笑。
その後、ブクロのミッチー、小野寺タカミチ、
KAYAくんも合流。このメンツだと絶対朝まで
コースになるので、ヒロムにアイコンタクトしつつ
逃げ帰ってまいりました!笑
みんな、また後日ね~。
てな感じで、本日もスタート。
順調に部数を伸ばしていったメンズエッグ。
順風満帆な環境にあった2001年1月、突然
編集長の木村氏から呼び出しを受ける。
「俺、会社やめようかと思ってるんだよね」。
「ハイ??」
木村氏は、唐突に辞意を表明したのだ。
2001年の夏までには、絶対辞めると。。
詳しく思い出せないが、多分僕が
編集部員にこのことを伝えたんだと思う。
今にしてみれば間違いだったけど…。
「辞める」を前提にしたボスを据えてれば、
編集部の精神的な支柱もなくなれば、方向性も
あらぬ方向に向いてしまう。
ギリギリまで、隠しておけばよかったんだ。
木村氏のこと。
ちなみに、
僕と木村氏の関係を書かせていただくと。。
1996年12月、僕はそれまで勤めていた出版社を
辞め、egg編集部に採用が決まった。
採用前に予備知識を得ようと
コンビニでパラパラめくったeggに、
日焼け&ロン毛のちょっとコワイ感じの
お兄さんがスタッフとして載っていた。
それが木村氏であった。僕は、この人と
仕事するんだな~とワクワクドキドキ。
しかし、実際の木村氏はとっても
面倒見がいい優しいお兄さんで、
彼の初めての部下となる僕は、
とにかく可愛がられた思い出しかない。
もう時効だけど、2人でよく悪さしましたよね(笑)。
困った時は、どんなツマラナイ事でもこの人に
相談していた。僕は姉貴がいる家庭だったんで、
勝手に自分の兄貴みたいな存在に位置づけていたのだ。
アナタとの記憶、今でも鮮明に覚えていますよ。
湘南でローカルに囲まれたこととか、細かいトコまで
説明できますもん(笑)。
仕事もプライベートもベダ付きでやってきた木村さんが
辞めることになり、後任の編集長は必然的に僕になった。
2001年6月30日をもって、木村氏は正式に退職。
7月1日付で、僕は「メンズエッグ編集長」を拝命仕った。
その半月後。
早速、具体的な売り上げ、利益を見せつけられ、
僕は愕然とした…。
ウワ~、全然売れてねぇ。。
それまで勢いで受け入れられていた
メンズエッグのニーズが、突如ズレ始めたのだ。
「勢いのあるものほどあきやすい」。
そんな法則に見事当てはまるかのごとく、
急激に数字が悪くなった。。
27歳の若造は、この現状をどう改善していいか
まったくわからない。この雑誌が、どーゆうポジションにあるか、
どーゆう読者に読まれてるか、当時はそんなことも
考え付かなかった。
とりあえずワケわからんから、自分好みの構成で
メンズエッグを作っていっても、さらに実売は落ちるばかり。。。。
この頃は嫁にもストレスをぶつけまくって、
ツライ思いをさせたと思う。
ゴメンよ。
リーダーとして何が正しいのかもわからず、
いよいよ赤字転落か?と思った矢先、
突如としてアイデアが浮かぶ。
1人の新人スタッフ加入によって。
ここから、奇跡の復活劇が始まった…!!!!!!
こんな長編になるとは知らず後悔してます…。
つづく。