日本の歌謡界の歴史を語る時に、この人の事は絶対に避けては通れないと言っても過言ではない。「生涯現役」と常々から口にしていたが、まさかその通りになってこの世での活動を終えようとは誰が思ったであろうか?平尾昌晃氏、楽曲の作り手としても歌い手としても多大なる実績を残したいわば「重鎮」は冥土での音楽活動を行うべく、急に旅立ってしまった。

 祖父はかつて「レート」という化粧品ブランドで大当たりし、「化粧品業界の雄」とも呼ばれた平尾聚泉氏で、伯父はクラシックで数々の佳曲を作り、当時における現代音楽の作り手の代表格であった平尾貴四男氏であった。貴四男氏の門下にはこちらも現代音楽の大家で、フジテレビで放送されたアニメーション「ジャングル大帝」の劇伴音楽を手掛けた冨田勲氏やNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」やフジで放送されたアニメ「アンデルセン物語」の劇伴を手掛けた宇野誠一郎氏らがいたというから、伯父と甥はある意味で日本の音楽の歴史に多大な功績を残したと言える。歌い手として「星は何でも知っている」やザ·ドリフターズもカバーした「ミヨチャン」、そして門下の畑中葉子と一緒に歌った「カナダからの手紙」をはじめ、作り手としては小柳ルミ子が歌った「瀬戸の花嫁」や五木ひろしの「よこはま·たそがれ」の他、ABC(朝日放送)テレビ「必殺シリーズ」やフジのアニメ「銀河鉄道999」の劇伴など幅広く手掛け、また後進の指導のために「平尾昌晃ミュージックスクール」を設立して多くの歌い手を育てるなどしたが、人生においては成功ばかりでなく、波もあった。お世話になったその筋の方に短筒を贈ってお縄になったり、また労咳で療養したりという時期もあったが、後者にとっては平尾氏が「作り手としての原点になった」と語っているから、決してマイナスとは言えないであろう。

 とは言え、その労咳の影響は後年にまで及び、一昨年には肺の腑にできた悪性のできものを治療するために医療施設に入り、最近も「息が苦しい」とも訴えていたが、前述のように「生涯現役」を口にして日本テレビの「午後は⚪⚪おもいッきりテレビ」などにもゲストとして登場するなど、健康に関する話題について医療の専門家の話を聞いていたのは、長年にわたる健康面での不安を一掃するためであったかも知れない。小柳に五木、畑中や布施明ら平尾氏の楽曲を歌った歌い手たちはそれぞれに平尾氏への思いを語っていたが、突然の訃報には皆衝撃を隠せぬ様子で小柳や布施は「思い出は多くあって、言葉にできない」という旨の事を口にし、歌い手として共にスタートして齢16の時からの付き合いというミッキー·カーチスも「驚いた。本当に残念」とツイッターでつぶやいている。

 平尾氏は来世に旅立ったが、手掛けた多くの楽曲は後世にまで多くの歌い手が伝えてくれると思う。今夜は坂上香織の「グッドバイ·マイ·ラブ」でも聴きながら、この不世出の曲の作り手を偲びたい。