親友の臨床心理士とランチとお茶を飲みました。彼女とはよく臨床心理の話をします。
彼女は最近悩みがあるということで、それは臨床が忙しく論文が書けないこと、でもそれが自分が臨床の仕事で自分に酔っているだけであり、本当は論文の方に手をつける必要があると思うこと、顔に最近発疹がでているけれど、皮膚科に行って処方とアドバイスに従って少しづつよくなってはいるけれど、実はこれは赤面している、つまり、自己陶酔して本当ならば恥ずかしいと思わねばならないところを、恥ずかしげもなくやっているところから身体症状に繋がっていると思うという、自分の内省を私に話してくれました。
私は彼女が臨床の仕事の方で自己を支えて、ある意味自己陶酔的になっているのは以前からわかっていました。ですが彼女が気づくまで黙っていたのでした。
また私の占いのリピーターさんについても話が出ました。私は、リピーターさんの受付を1ヶ月以上は空けてお受けする方針にしています。ですが、状況が変わった場合はタロットの結果も変わるしなぁと最近、ぶれていました。この1ヶ月という設定の理由は、同じ質問を短期間に何度されても鑑定精度が下がるだけで意味がないこともありますが、もう一つ心理療法的に依頼者様自身の持ちこたえる力を伸ばすことができないから、です。つまり枠組をしっかりするのが非常に大事になってきます。そこが、最近ぶれていました。そのことは彼女にも指摘され、「その人の持ちこたえる力を奪っているし、逆転移を起してる」と言われました。その通りだと思います。
一方で私はついこの間、重要な夢を見てそれを夢日記に記そうとしたのに、その夢日記が見つかりません。紛失したのです。外に持ち出していないのですから家の中にあるはずですが、ありません。あの日記には教育分析のセッション記録や箱庭療法の記録、夢分析の記録などが書いてあり、私には命と同じくらい大事なノートです。それをなくしてしまいちょっとパニックになりました。そしてこの紛失はなにか大変なことが起きている、とは思いましたがそれ以上は何も考えられませんでした。そのことは彼女にも相談したのですが、彼女はその時は「大丈夫、出てくるよ」と言いました。そして、この久しぶりのお茶の席で、彼女は私に「この間は言わなかったけどね、あのノートを紛失した意味は、あなたが今内省する力をなくしている象徴だと思うよ」と言われたのでした。
私は最近、プライベートでもやもやとずっと悩んでいることがありましたが、それをいつも荷物のようにきれいに収めて棚の上にあげるようなイメージをして棚上げ状態にしていました。考えないように。考えると苦しくなるからです。占いでもそれは解決しませんでした。ですが、彼女の一言ではっと霧が晴れたように視界が広がりました。そう。私に今必要なのは、あの夢を分析して内省し、自分の内面に深く降りていくこと、そこで今のプライベートでの悩みが私の人生においてどういう意味を持つのかをさぐること、それでした。やっと現実世界に戻れたような気がしました。ここ最近は、自分の内的な世界のノイズがうるさくてケアレスミスや小さな失敗をちょこちょこ起していました。
そこで内省していくと、今の苦しみが私の人生に必要な試練であることがやはりわかります。
超えられるかわからなかった大きな試練を乗り越えて、やっと安心できたかと思ったけれど、また自分が変わっていくための試練が訪れて、螺旋階段状に自分が変容せざるを得ない体験をする。その繰り返しなのだということ。
彼女とはプチセッション会のようになってしまいました。本来ならば彼女にセッション代を払わないといけないぐらいですが、現物支給で感謝しました。喜んで受け取ってくれました。
彼女は「内的世界と外的世界は常に繋がっているからね」と言ったのでした。
そして私の心理療法の師匠が自殺願望があり何度も自殺未遂を繰り返すクライアントに言い続けた言葉「あなたが死にたいと言うたびに僕にはあなたが生きたい生きたいと言っているように聞こえる」と言い、決して見放さなかった態度。私はそういう姿勢で「丁寧に人の話を聞き、その人を見る」、それが私の占い師としての信念です。
私にとっては占いの道具はあくまでもツールです。占いありきではない、依頼者様とその悩みをどう聞くか、それが私の考える占いです。
恋を失ったあなた、秘密の恋をしているあなた、彼からの連絡をひたすら待つだけの苦しい時間を過ごしているあなた。その出来事はあなたの人生やあなたにとってどんな意味があるでしょうか。ちょっと考えてみてください。
そしてそのためのお手伝いが必要な時は、どうぞお声かけください。
一緒に考えます。
燈子