1月15日は女子学サミット 女性学ではなく、なぜ女子学なのか? | 白河桃子オフィシャルブログPowered by Ameba

1月15日は女子学サミット 女性学ではなく、なぜ女子学なのか?

新春のイベントは1月15日の日本女子学サミットです。
まだまだ募集中。ぜひお会いしましょう!

http://www.loft-prj.co.jp/lofta/schedule/per.cgi?form=2&year=2013&mon=1&day=15

女子について今思うことをつらつらと書こうと思います。
1月3日、朝日新聞の「希望は女子」でインタビューをいただいたのですが
ちょっと記事にはならなかったことも言いたいので。

$白河桃子オフィシャルブログPowered by Ameba-1月3日 朝日新聞にコメント


「日本には女性学より女子学が必要だ!」とずっと思っていました。
昨年関西に「女子学研究会」があると知り、すぐに入会させていただきました。

なぜ女子学なのか?

日本の女性たちはすでに「いくつでも女子」として生きているのではないか?
と思うからです。

女子とは「女こども」でもあります。「どうせ女こどものこと」というのは
かなり軽い扱いです。

しかし、日本の女性には「辛いこと」「我慢すること」「不自由なこと」が
つきまといます。

女子から女性になっても何もいいことがない!
じゃあ、一生女子でいいじゃない!
だから日本女性はみんな女子になったのです。

女子化することで、いくつになっても女子会で集まり、
年齢不詳のファッションを楽しみ、美魔女になり、アイドルオタクになり、
海外に好きなタレントの追っかけをし・・・年齢や役割りに縛られず
自由になりました。

少なくとも韓国や中国では、母親である女性が嵐のコンサートに
行く為に夫をおいて海外に遠征することはないでしょう。
でも、逆はありなのです。

女子は女性ではなく女子になることで、「自由」「軽やかさ」を得たのです。

そして「女子」には「パワー」もあります。
不況の中、元気なのは「女子力市場」でした。

しかし、そんなことを言っているうちに日本の女性の地位は
先進国ではあり得ないほど低い101位へ。

本当にこれでいいのか? 女子から進化しなくていいのか?
そんな疑問もあるかと思います。

以前電通総研と仕事をした時、「女子の次のワード」をかなり一生懸命探しました。
脱女子まではすんなりイメージできても、「脱女子」のあと、何になればいいのか?

結論は「女子は女子のまま、進化していくのだ」ということでした。

女子のまま、社会貢献したり、日本全体のことを考えたり、どんどんやってしまえばいい。
すでにそういった女性はたくさんいます。

彼女たちの軽やかなところは「女子を使うこと」を単なるツールとして
とらえていること。

男性と同じになろうとするのではなく、女性性を生かすことが
自分たちのアドバンテージと心得ていること。

ひと世代上の女性たちは「女を使う」ことを非常に嫌いますが、
目的のためには何でも使っていいのでは・・・と私も思っています。

こんなことを言うから、フェミの人たちに嫌われるのかも・・・

また女子力に関しても、「対男性向けの力」とは全く思っていません。

女性が自分の女性性を確保するために、装着するアイテムのようなものが
女子力と思っています。

若くなればなるほど、本当に男女差がなくなっているので、
うっかりしていると無性化してしまう自分に
「女子力」というパワーアイテムをつけることで「女子」になる・・・
そんなイメージです。

対男性ではなく「対自分」へのパワーアイテムです。

明日はどんなサミットになるか、不安でもあり楽しみでもあり・・・

多分うきまくると思いますが、なにとぞ、よろしくお願いいたします。