● 聞く耳が消えたところが問題の本質である~聞く耳のある者は聞くがよい~
メールを頂くのは嬉しいです。
ただ、スコトーマに隠れて見えないのは分かりますが、課題を1つ1つこなしていきましょう!やメールでは、何と書いてあったかな?
もう一度よく読んでみてくださいね。
「種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。
ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ」。こう語られたのち、
声をあげて「聞く耳のある者は聞くがよい」と言われた。
弟子たちは、この譬はどういう意味でしょうか、とイエスに質問した。
(中略)
だから、どう聞くかに注意するがよい。
持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう ルカによる福音書8章8節から18節
聞く耳のある者は聞くがよい。というのは良いですね。私自身も観たくない情報は目が泳いだり、ソッポを向いたり、フッと意識から消える瞬間があり、それに気づけると成長は早いです。
なぜ目が泳ぐのか?ソッポを向くのか?フッと意識から消えるのか?止観すれば答えは出ますね。笑
聞く耳が消えるのです。笑
でも、そこが問題の本質であり、問題に向き合えれば成長ができます。
今回のメール返信も前回と同じとか(同じのわけないですが。新しい情報も入れているし、コンテクストも違うわけで、その解釈は目が曇りすぎです。)2秒で分かった気になった返事をしないで、どう聞くかに注意するとよいのではないでしょうか。
私が約数年考え続けた課題であり、師匠が1年かかった課題であり、それが3秒で分かっているならば、そもそも論としてそんな低レベルな質問はしなかったはずですし、私と同じかそれ以上の結果を出していたはずです。
でも、機能としてそうではないということは何かが違っているのではないでしょうか。
1年半前のシークレット講座でも言いましたが、私は気功やコーチングや認知科学も、ヨガも、身体も、すべては言葉だと考えていつも使用しています。ですから、気功もコーチングも言葉であるという抽象度まで上がらない限りは発言がいちいち矛盾しているように観えるでしょう。
でも、このスタンスは1年半前の講座でリアルで伝えてから変っていませんし、キョンシーみたいな格好をしているから気功師というわけではないのです。
「なかだ」では気功は言葉ですから、気の玉を作ってハーってやっているから気功師というわけでもありません。笑 演出をすることはありますが、レベルが上がってきた方には演出も少なくなります。
レジュメをもう一度読み直せば書いてもあるはずです。
気功は言葉である、もそうですし、これは旧約聖書のはじめに言葉ありきの言葉でもあります。クライアントさんへの提示の仕方も「言葉」ということを理解すれば矛盾が消えます。
最後に中略をした最後の一文を載せます。
良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。
耐え忍んで実を結ぶに至らせるのは各自かと思います。
今の抽象度の階層で理解したつもりになっているものはだいたい間違いですから(自分が上がらないと巨人の肩には乗れません。今の理解とは巨人の足もとを観て満足しているようなものです。)、「なかだ」では先生とのそのシーンを脳内でコンテクストも含めてしっかり保存して、数年は考え続けろと言っています。
レベルの低い質問をしたらアバターに変るとか、我々は何も観えていないことにそろそろ気づいた方がいいと思います。
ゴール設定・末期ガン・エフィカシー(ゴール達成への能力の自己評価)・趣味・社会貢献・ファイナンス・部下指導・職業・転職・起業・人間関係等に関する内部表現書き換え、働きかけを行っています。
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