独学はへんなクセが付きますので半年~1年くらいは先生について学んだ方が良いです(^^)多少コストが高くついてもオススメしています。
僕自身はもちろん直接学ぶチャンスがあれば直接学びにいっています。
現在はこの人だ!というビジネスの先生をやっと見つけて「毒を食らえば皿まで」マインドで毎日質問の日々です。もちろん、直接お会いする機会があったときに1番質問をしていたのは僕でした。笑
これは「なかだ」自身が19歳の頃から苫米地本を5年以上かけて独学で学んでいて、でも、たった1年直接学んだ人に圧倒的にすべてにおいて負けていたことから無駄な努力は無駄でしかないんだということを悟った僕の信念(ブリーフシステム)でもあるのですが、苫米地博士も悟りの教科書内で学問は人からしか学べないと書いていて、だよね、と思います。
ですから、僕は無駄な努力は無駄でしかないという立場です。もちろん、認知科学ではこれを情報空間の階層性という形で鮮やかに証明しています。
少なくとも、アメリカの貧困層が経済学者トマ・ピケティの21世紀の資本論でr>gの方程式により俺たちはお金持ちにはなれないとバッサリと切られて気づいて救われたという話がありますが、埃も積もればゴミにしかならないと早く気づくべきでしょう。
どんな習い事にも通じると思いますし、クセの修正にはだいたい倍以上時間がかかります。
例えば、「なかだ」は16歳の頃からギターを10年間以上弾いています。3年間は高校生の頃クラシックギター部に属していて全国大会にも出て、スカウトされたこともありました。
その後エレキギターに転向したのですが、それからは独学で学んでいました。
去年はじめて先生に付いて7年ぶりに学び直したのですが、まず手首に変なクセがついていて柔軟な手首にも関わらず手首をロックしてしまうフレームがついていました。
これがまた厄介で、1ヶ月たっても直らないのです。汗 毎回レッスン中に先生に注意されても直らず、気功をおこなう時にもこのギターフレームが身体を固めて気の出力を下げる邪魔していました。笑 ということがありました。
ざっくりといえば、このギターフレームの修正にまる1年かかりました。
また、たまに読み返したくなるニーチェの言葉も学んだ気になっている人に対して極めて痛快です。
確かに体験は重要だ。体験によって人は成長することができる。しかし、さまざまな体験を多くしたからといって、他の人よりもすぐれていると言うことはできない。
体験をしても、あとでよく考察しなかったら、何にもならないのだ。
どんな体験をしても、深く考えてみることがなければ、よく噛まずに食べて下痢を繰り返すようなことになる。
つまり、体験から何も学べていないし、何も身につかないということだ。超訳ニーチェ P119
どんな体験をしても、深く考えてみることがなければ、よく噛まずに食べて下痢を繰り返すようなことになる。
遠隔気功受けっぱなしの人みたいなものです。どんどん下痢になりますから気をつけることです。観察もしないで、彼らは(彼女らは)学んだ気になっているだけなのです。だから恐ろしいもので1年後も同じ質問をするのです。
学び方は本当によく考えた方がいいです。
だいたい先生には先生がついていますし、ですから、先生をよく観察することです。そうすると、先生には先生がいることが分かります。上に上がっている人には必ず師がいるのです。コーチにはコーチがいるようなものです。
本質を観る目を養う事です。
これは教えてくれる先生はほとんどいないです。
本質を観ることです。
そして、先生の学び方を真似る事です。また、横も下も観ないでこうなりたいという人だけを観ることです。
僕のように学び方を間違えると青春の5年間、貴重な時間を無駄にすることになることさえありえます。
もちろん、すべてがすべて無駄ではなかったのですが、
目の前の落とし穴が観えていない人にそこには落とし穴があるよ、穴に落ちるよ、進んで落ちるのは勝手だけど~とお伝えするのが僕の役割の1つですから。
未来の若者達に僕と同じ思いをして欲しくないので、書いておきます。
【参考書籍】
超訳 ニーチェの言葉/ディスカヴァー・トゥエンティワン

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