「頭の体操」として、極端な例を考えると問題の輪郭がはっきりするだろう。
「なかだ」の好きな喩え話の1つを紹介する。
(引用開始)
ある部隊に間抜けな兵隊がいるとする。戦闘になった場合、その兵隊が弾にあたって倒れるだけだ。
しかし、隊長が間抜けだと部隊が全滅する。隊長がしっかりしていないと部隊全体が危険にさらされることになる。読者の職場においても似たような状況だと思う。
チームリーダーや部長が無能だと、全体に悪影響が及ぶ。これは国家においても同じだ。
(引用終了)著書 佐藤優 修羅場の極意 1章 助言は絞り込め kindle版 No98より
「なかだ」の場のメンバーは少なくともリーダーであろう。家族という数名単位のリーダーでももちろん構わない。20代、30代になれば、最低でも1度はリーダーの経験をすると思う。ということは、我々は全員隊長という立場をとることになるだろう。

でも、その前に間抜けな兵隊の立場を考えてみよう。間抜けな兵隊が戦闘になった場合は弾にあたって倒れるだけだ。もちろん、戦闘とは我々に取っては気功・ヒーリングの実践ということだ。クライアントに殺されるだけ、上手に倒れていくだけだ。
どう間抜けなのかは想像にお任せする。
命令違反(ルールを守らない)があり勝手な行動があったのかもしれない、鍛錬を怠ったのかもしれない、想像力がなく戦闘を舐めていたのかもしれない。
もしくは、見た目が似ているキノコと毒キノコの区別がつかずに食し戦闘前に倒れるのかもしない、情動優位になり敵に無鉄砲に突っ込んでいったのかもしれない。その姿を見て、我々は間抜けだなと思うだろう。でも、もちろん、これは我々の姿の1つかもしれない。
何にせよ、間抜けな兵隊は弾にあたって倒れるだけだ。いくら言い訳をしても倒れてからではもう遅い。
では、隊長が間抜けだとどうなるだろうか?
部隊が全滅するのではないだろうか?全体が危険にさらされるのではないだろうか?
もちろん、隊長が間抜けだと誤射や乱射で仲間にも撃たれるかもしれない。隊長の責務として間抜けな兵隊には気功技術の全技術抜きなどの処置を取っている。
リーダーだけの小火(ぼや)で済めば良いのですが、大抵は周囲も巻き込んだ大火事になる。
もちろん、21世紀の現代我々は関係性によって全員隊長であり、全員兵隊であることを忘れてはならないのでは?と思う。

※間抜けな兵隊でも、こんな状態になったら隊長は悲しいと思います。
【参考書籍】
修羅場の極意 (中公新書ラクレ)/中央公論新社

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新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)/文藝春秋

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