社会って何ですか?〜社会に機能を果たす中での部分と全体の混同〜 | 最新の認知科学に基づいたコーチング&ヒーリングを同時にマスターできる世界に1つだけの習得レッスンとは?

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社会って何ですか?~社会に機能を果たす中での部分と全体の混同~

「なかだ」の場ではビジネスをされているメンバーも多いので、大丈夫かと思いますが、対面セッション生やヒーラー養成講座受講生は真剣勝負の場に出るために早めに開業をすると良いと思います。

開業といえば、開業コンサルは対面セッションでおこなっています。過去の最適化(現状の内側)や立証されていない役に立たない抽象度の低い理論モデルといえば、『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』が面白かったです。

遠隔企画トランセンデンスでメッセージをたくさん頂いています。ありがとうございます!

日本では議論を戦わすという習慣がないように思うので、是非議論を戦わせたいと思っています。知識が間違っていたら目的地にはたどり着けません。いや、間違った知識は知識とは言わないので。

もちろん、辿り着くことが目的ではないのですが、時間が許す限り。知は力なり。by F・ベーコン すべては知識の問題に還元できると「なかだ」の場では考えています。

もちろん、科学を仮説とするならば、議論というものも仮説であり、人格を攻撃しているわけではないので、あしからず。でも、日本人は人格を攻撃されていると勘違いしがちです。そこだけ何故実観になるのか疑問です。

トランセンデンスを思い出します。

古いパラダイムに依拠している仲間に、新しいパラダイムの人が殺されるという社会の真実を描いた救いのない作品w

面白いなぁと思います。笑

今回は社会に機能を果たすということについて考えてみたいと思います。個人的には「目の前の宇宙に機能を果たす」の方がいいのかもしれません。部分(個人)の機能と全体(社会)の機能は違うので。

そして、縁起ということを関数現象として現代的に考えれば、目の前の宇宙に機能を果たせば全体にも影響を与えていきます。社会と考えるとぼんやりとしがちです。

社会といえば、家族という社会なのか、バイト先の社会なのか、大学(学校)という社会なのか、会社という社会なのか、世田谷区という社会なのか、日本という社会なのか、世界という社会なのか、宇宙という社会なのか、時間軸を含めた人類という社会なのか、で枠組みが変りますから。


あなたの観ている社会って何ですか?
社会に機能を果たすって何ですか?ということが分かればおkでしょう。

社会って何ですか?
機能って何ですか?

家族という社会といえば、家族がいても、ファンクションしているか微妙なコミュニティが多いのではないでしょうか?

機能と言えば、肺はあっても、多くの人の肺は呼吸という機能を徹底的に果たしているかは微妙ではないでしょうか?開業しても一年間売り上げゼロで機能を果たしていないかもしれないのと似ています。


例えば、ある会社(全体)の機能と個人(部分)の機能は違います。


会社というコミュニティのゴールを考えれば、会社は利益を追求することが求められます。利益を追求していく機能なわけです。利益を追求していく中で付加価値が生まれていきます。もちろん、付加価値にはマルクスのいうように商品の命がけの跳躍が必要です。機能を果たせなければ、おそらく会社は潰れます。

会社という全体から観た個人の機能を果たすとは、個人に目の前の仕事を全力で促すことや、利益を追求させることです。でも、3人でおこなっていた機能が1人でできるようになったら、2人分の人件費は削られて個人は大変になるかもしれません。

個人のゴールを考えてみると、サルのようにお給料を貰うことが機能の人は、サボることや生産性を落として残業をすることがゴールなわけですよね?まぁ、サル機能は今後の社会ではペッパー君に取って変られるでしょう。

いや、サルのような機能ではなく、人間の機能の人は、自己の成長がゴールの人はお給料ではなく、やりがいを求めるかもしれません。

というように、部分と全体のゴールというか機能が違っているわけです。

メッセージの中にも社会に機能を果たす、よりよい社会に、豊かな社会にと書いている人がほとんどでした。

素晴らしい!

でも、上記のように「なかだ」の考えている「社会に機能を果たす」と、ブログ読者さんの「社会に機能を果たす」では大きく乖離があるように思います。


パラダイムが古いかもしれないということです。


抽象度を上げてみていきますが、まずは数学の集合の概念で考えてみたいのですが、部分(個人)と全体(社会)は違います。部分の集合の和が全体ではないというのはゲシュタルトでしたよね。

(引用開始)P272「数学を使わない数学の講義」MIT大学院ノーベル賞学者達から数学、経済理論を学んだ著者 小室直樹 アローの背理から。
常識的な考え方では、皆がいい人になれば、社会全体がよくなり、また、すべての人が平和を欲すれば戦争は起こらない、という意見が正しく見えても不思議はない。

しかし、数学的論理に従ってきちんと検証をしてみれば、今述べたとおり、そんなものは嘘っぱちだということが、すぐにわかる。

(引用終了)

え?って感じの人が多いのではないでしょうか^^

常識的な考え方では、皆がいい人になれば、社会全体がよくなり、また、すべての人が平和を欲すれば戦争は起こらない、という意見が正しく見えても不思議はない。

でも、これは嘘っぱちなのです。

また、直感に反する例といえば、アダムスミスの神の見えざる手も思い出したいところです。

各個人は社会のことなど考えずに、自己の利益を追求し、消費者は自分の効用の最大化のみを目指す。

各個人はたいへんな悪徳を実践するのだが、これらの活動がひとたび市場機構(マーケット)をとおすや否や、神の見えざる手により、最大多数の最大幸福をもたらす。



では、我々はどうすればいいのか?


個人的な回答は言葉足らずかもしれませんが、今回は「縁起」、過去記事を含めて書いています。

もちろん、回答(結果、主張)のみが重要というのは論理学でいえば、古いパラダイムであると「なかだ」は考えています。論理学で言えば、述語、むしろ、文節の方が大切なのです。


ヒントになりましたら、幸いです。


【参考書籍】

数学嫌いな人のための数学―数学原論/東洋経済新報社

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数学を使わない数学の講義/ワック出版

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国富論〈1〉 (岩波文庫)/岩波書店

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国富論 (まんがで読破 97)/イースト・プレス

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申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。/大和書房

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