無料でクレクレ君は私が無料でクレクレ君だとは夢にも思っていない、というか、どうせ気づかないのでガシガシ書いていきますね。
誤爆注意です!
相談会でも話題に上がりましたが、無料でクレクレ君は一種の現代病です。
例えば、原発問題で慰謝料をむしり取れると思ったら、強気で東電がすべて悪いんだーっと言って何千万円もむしりとって、でも、コンフォートゾーンになっていないのでパチンコなどですべて擦ってマイナス数千万円になるとか、
「繁栄」という書籍では発展途上国にお金や物資を支援すると彼らが無料でクレクレ君になって何もしなくなるから、食料を手に入れる方法や農耕の方法を教えたら彼らが成長したという話があります。
老人ホームなども自分のお金でない場合はヤバいです。
老人ホームに入れられてどんどんボケていくおじいちゃんに配膳という役割を与えたら生きる力を取り戻したという面白い話もありました。
ヒューリスティックにここら辺は理解できる話です。(ゴールですから。)
まとめると、自分の足で立つ力がなくなると取り返しのつかないことになります。
それは物やお金じゃない方がいい、使ったらなくなってしまうからでも書きました。
無料でクレクレ君とは金魚が口をパクパクと空けて、エサを口に入れてくれるのを待つような状態です。でー昔書いた例でいえば、ヒーラーショッピングやセミナー難民です。^^
彼ら(彼女ら)は本当の自分を求めて彷徨い続けます。でも、哲学的に言えば、自我とは評価関数ですから、本当の自分なんてありません。
ないものを求めてインドに行っても一生辿り着きません。
さらっと重要なことを書きますが、評価関数を意識しているという視点のみが自分です。
で、無料でクレクレ君の状態になってしまうとヤバいです。
何が問題なのか?と言われると外側に刺激を求めるので一種のドラッグ中毒と同じです。重要な変化は内側から外側に広がるのに(脳から)、外側がすべてを変えてくれるとクレクレ君達は思っています。
で、我々は無料でクレクレ君には容赦しないことが重要です。
例えば、キッチリお金を頂くことです。
それが相手のためにもなりますし、自分のためにもなります。
それは何故でしょうか?
例えば、ドラック中毒の人にドラックを与えることは本当の優しさでしょうか?
世界を少し見渡してみてください!
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あなたの憧れのあの人はクレクレ君でしょうか?
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もらい続ける自分に気づいたら、慌てて与える自分になりましょう。お金ももらうのではなく、稼ぐことです。
そういう自分になっていきましょう。それがなりたい自分のはずです。
ですから、
無料でクレクレ君というドラック中毒の人にドラックを与えることは本当の優しさでしょうか?
子供を谷底に落とすライオンのような気持ちで見守りつつ、谷底に落としましょう。
彼ら彼女達の成長のためにも。
と考えています。
続く?
繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)/早川書房

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