2月19日(水)のセッションでは『縁起って何ですか?』というご質問を受けました。脳科学の知見と合わせてみていきましょう。
縁起の理解は幸福な生き方の1つの指針になるのではないか?と僕は思っています。
法華経を最高の経典として称えていた日蓮の言葉をお借りするならば、『仏という存在を固定的には捉えず、菩薩行を行じつづけていく凡夫の姿の中に仏がある』ということでしょう。
我々の自我を点として、自我(点)と自我(点)を結んだ線と点を『縁起』というイメージです。
すべては縁によって起こるとか、関係性によって成り立つとか、同時に起こるとか、物事は双方向性といいますよね。
で、そこまでは知識として知っているという方がほとんどだと思うのですが、縁起の体感や何故これが必要なのか?がやはり分からない人が多いのかな?と感じています。
もちろん、「縁起」に隠された重要な「シフト」があるわけです。(隠されていませんが。)
結論からいえば、我々は絶対的な自我があると思っています。そして、いつまでも継続していく・・・と。
でも、絶対的な自我はありません。アプリオリな自我はありません。もちろん、マントラのように絶対的な自我はないと思っているだけでは何の意味もありません。
絶対的な自我はある→関係しかない
へ我々はシフトする必要があります。
そして、自我や関係は川の流れのように移り変わっていくものです。
シフトで分からなければ茂木健一郎さんの「アハ体験」でも、池上彰さんの「そうだったのか!」でも構いません。体感という単語で分かるなら体感する必要があるわけです。
ここで日蓮の言葉を思い出してみましょう。
『仏という存在を固定的には捉えず、菩薩行を行じつづけていく凡夫の姿の中に仏がある』(菩薩行=修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導く)
観えてくるものがあるのではないでしょうか?
仏というのもが固定的ではなく、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導く中に仏がある、と。即ち、関係の中に現れる、と。
そして、「幸福」というものも「なかだ」は関係の中に立ち現れてくるものと考えています。
何故か?は次稿へ。
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