ありがとうございます^ ^
不安や最悪の状況を考えてしまうことってありますよね。他人の目を気にしてしまう、心配性…僕も多々ありました。
でも、もしもその考え方が「幸せ」の方向に向かったとしたら…如何でしょう?
ネガティブがすべてひっくり返るとしたら?
人は結局のところ「私」のことをどう見ているかわかりません。あの人は私のことをこう見ている、いうのも私がつくった幻想です。私がこう見ているに違いないっ!って想像しているだけでしょう?
もちろん、関係によって認識は変わりますし、好きも嫌いも時間が経てば、ひっくり返るものです。社会も変わり続け、人も変わり続けます。^ ^
例えば、数年前、僕のような元鬱で引きこもりが、誰が、月商250万円以上稼ぎ、「なかだ」のクライアントが月商60万円以上稼ぐと予想できましたでしょうか?
誰もそんなこと微塵も思っていなかったでしょう。微塵もです。
稼いでいるというとイラッとさせる方も多いかもしれませんが、膨大なリスクと日本に税金をたくさん収めることになるので悪いことではないでしょう?遠い点を結べば、生活保護の国からの支払いは僕の納めた税金から。福島の復興のためにもなるでしょう。多分。もちろん、1人1人が納めた税金です。
会社でいえば10年前誰がGoogleがトップ企業になると予想していたでしょうか?
数年後に稼げる会社は今はなき会社や業界でしょう。資格化しているものはすでに傾斜産業でしかありません。
で、関係しかないこと、それを釈迦は縁起(関係)と言いました。縁によって起こると書き、同時におこるイメージです。関係がなければその人の宇宙には存在しないも同じですから考えるだけ無駄でしょう。(宇宙にないので考えることすらできません。)関係があるならば考えましょう。
人は完全情報を持ち得ず、合理的判断もしませんし、部分情報での判断のみです。ということは、部分情報での今の選択こそがベストです!
今この瞬間にベストな選択をし続けるだけです。一見ネガティブな結果になった場合も最善を尽くしたのだからベストな選択です。
最善を尽くしていないのならば、「何故君ははじめから最善を尽くさないのか!」で反省すべきでしょう。それはただ生き方が甘いのかもしれません。
禅の問答と一緒です。
最悪の状況を考えられるのならば、それが最悪のはずですから、あとは、最高の未来を考えるだけ!
でも、本当に怖いのは最悪をこえた想定外のブラックスワンではないでしょうか?
原発事故や天災みたいなやつです。
でも、想定外なのだから今を全力で生きるだけです^ ^で、起きたことは全力でリカバリーして、軌道修正して歩いていくだけです。
それを釈迦は歩くために歩くといいました。ノーベル経済学賞受賞のダニエルカーネマンでいえば、経験の自己ですね^ ^
今この瞬間に全力を尽くすことですね。人はいつ死ぬかわかりませんし、案外ポックリ逝くものです。絶対的な健康なんてありません!
僕もいつ死ぬかはわかりません!笑
それでもよりよい物理空間にするために、未来の子供達のために明日の種を蒔くことです^ ^
「なかだ」に思考はあるけれど、最近悩みはないのです。疲れはあるけど。笑 僕がいなくてもまわるようにいつ死んでもいいように弟子もスーパーヒーラーに育てています^ ^
一生幸せな脳のコツは抽象度を上げた思考です!
本日もお楽しみにね♪
なかだ