何故苫米地博士がライブのはじめにStairway to Heaven(天国への階段) Led Zeppelin のフレーズを弾くのか?「意味深だな~」と感じたので、勝手に超訳解釈をしてみました。
ギタリストでなければ弾いていることすらスコトーマに隠れてしまうかと思うくらい細かなことなのですが、You Tubeで音楽を楽しみながら読んで頂ければ幸いです。^^
@Stairyway to Heaven(天国への階段)Led Zeppelin
Stairway to Heaven のwikiから。歌詞は様々な解釈があるので、ここでは無視します。
(引用開始)
「天国への階段」はイ短調、4/4拍子、三部構成の曲である。第一部はアコースティック・ギターのアルペジオとリコーダーとで演奏される静かなパート。12小節からなる序奏の後、ヴォーカルが4小節の小楽節からなる美しいメロディーを四度繰り返し歌う。第二部ではリコーダーが退いてエレクトリック12弦ギターとエレクトリック・ピアノが加わり、コードおよびアルペジオを利用したリフを奏でる。この間、ヴォーカルは第一部と同じメロディを四度繰り返し歌う。第二部の後半からはエレクトリック・ベースとドラムスとが加わり、ヴォーカル・メロディーも新しいものとなるが、ギターとピアノとは前半と同じリフを繰り返し演奏する。次第に音量を増した曲は、クライマックスの第三部に入る。12弦ギターによるファンファーレ風の序奏に導かれてペイジがギター・ソロを演奏し[2]、続いてプラントが高音のシャウト。最後の4小節に至って曲は急激に速度を緩め、プラントの独唱で静かに結ばれる。
曲全体のおおまかな印象は「延々と続く繰り返し」であり、単一の要素を繰り返しながら次第に楽器数が増えてクライマックスに至る構成は、ラヴェルの「ボレロ」がそうであるように、広い意味での変奏曲に似た構成だと考えることができる。
(引用終了)
この曲は何度聴いたか分かりませんが、はじめはギター一本からはじまり、同じメロディーを繰り返し、繰り返し、繰り返し、そんな中でも様々な楽器が加わり(様々な人との出会いがあり)最後はプラントの独唱で終わる、そんなオシャレで美しくも哀しい曲に聞こえます。
人は常に変わっていく中でも、延々と続く繰り返しをしているわけですが、僕のヒーローの1人である空海のこんな言葉を思い出します。
生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
時間には最小単位があり、プランク定数h(10のマイナス14秒)の時間次元の断層を我々はこの瞬間も飛び越えています。その離散的な時間次元を飛び越えることを生きるといい、その中で我々は次元の断層から断層へコピーされ、コピーされ、コピーされていきます。もちろん、不確定性原理が働くので完璧な情報のコピーなどありえず、不完全なコピーとなり、自己修復をおこないます。その自己修復(エラー)のチェック機構をホメオスタシスと言いいます。
人はこの瞬間瞬間に生まれ生まれ生まれ、死に死に死んでいるわけです。昨日の自分と今日の自分が変らない(世界も含む)という心の動きを「無明」といい、そこに影響を与えるというか、自分のスコトーマでも、自分の目のチリでもいいのですが、変え続け払い続けていくのがヒーラーだと考えています。
今この瞬間も、自分も世界も変り続けているわけです。
僕には美しくも哀しい「 」、そういったメッセージに聞こえてきたのです。
お問い合わせとフィードバックはこちら