先日とある大阪のコーチングセミナーの懇親会で司会的なことをしていました。
その時に出会った方に言われた一言に救われた記憶があります。
「鬱病だったの!?凄いね!それは凄く才能があるんだよ!」
とそれも屈託のない確信した笑顔で。
あまりにもカウンターパンチでその後に生ビールを一杯だけ嗜みながら話し込んでしまいました。
過去の躁鬱病も一瞬で誇らしいものになりましたし、
自分の心身が誇らしいとも思えるようになりました。
我々は悟りを知らないので無明です。目の前に出すことができない悩みに悩んだり、お金という交換の道具に人生の支配権を渡してしまったり、○○さんはこう思っているに違いない!と勝手な妄想をはじめたり、はじめに言葉ありき即ちルールよりも前に言葉があり、その言葉の言語束縛に囚われたり。
おそらく悟った人はこのブログを観ていませんし。いや、悟りどころか覚醒して観て下さっている方もいるかな。笑
過去ももちろん、目の前に召還することはできません。その臨場感を再現することだけはできますが。しかし、過去とは記憶の合成でしかありませんし、劣化します。
そして、目の前の現実すら過去の記憶で再現し観えていません。例えば、目の前の赤色を数えてみて下さい。数えるまではまったく意識にすら上がっていなかったと思います。次は黒色を数えてみて下さい。
あなたのパートナーも毎日髪の毛が伸びていますし、心と身体、体調も違います。それなのに、我々は変化に気付きませんし、目の前の世界をアプリオリ(絶対)にしてしまいます。というように、それを少しずつ観えるようにしていくこと。それが先日大阪でおこなった自分のセミナーはじめての気功~超瞑想会~のテーマでした。
我々が目の前に観えている世界は意外と抽象度が低い世界なのです。
少しでも止観(サマターヴィッパサナー。情動を止めて観ること、頭をフル回転させる)ことができるようになればいいなという思いでの開催でした。ぼーっとしていることは止観ではありません。止観できると脳がフル回転します。
止観ってこんなに楽しいんですか!!人生が変わりそうです!というのが講座後のフィードバックでとても嬉しかったことを覚えています。またご要望があれば開催したいな、とは思いますが、今後の開催予定はありません。
なかだ自身同じコンテンツをもう1度おこなうことがなかなか難しいのです。というか、講座はライブなので、同じ講座は2度と開催できません。
そして、講座とは素材をお渡しすることです。素材を料理して活かすも殺すも、生煮えにするのも、あなた次第です。
アインシュタインの一般相対性理論を僕がどこまで理解出来ているかは別として、相対論、時空連続帯を持ち出すまでもなく2度と同じ時間と空間(同じ座標)に戻ることはできません。
2度と同じ一瞬一瞬には戻れないのです。
話が収束しなさそうなので、ここで終わりにしておきますが・・・、
プランク毎秒ごとに大切に生きていきたいですね♪
美功師 なかだ
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