眼光紙背で読んで下さい。
『なかだ』は日本トップレベルのヒーラー養成を目指しつつ、こうすれば社会が、人生が、豊かになるのではないか?という提案を絶えずおこなっていく『場』です。
『場』の力は偉大です。
コレクティブエフィカシーという言葉があるくらいで、1人でも場の力を下げる人がいるとアウトです。この場でもそういう方がいれば、容赦なく、追放します。みんなに迷惑なので。
で、歴史上の偉人を観ても、偉人は偉人と仲が良いのです。
今回は幕末の志士、『高杉晋作』を取り上げて、みていきたいと思います。

「おもしろきこともなき世を面白く」辞世の句
というのも、僕は高杉晋作の師、吉田松陰の『松蔭』という場所に住んでいます。駅には吉田松陰と高杉晋作の写真が貼られているくらい。引っ越してきてはじめて知ったのですが、田舎からの成り上がりの僕が1番初めに引っ越してきた場所が、高杉の師『松蔭』とは何か縁を感じずにはいられません。
松蔭神社に行ったら、偉人、高杉晋作と吉田松陰の情報場にアクセスできるようになったように思います。まぁ、住んでるのも大きいでしょう。
(引用開始)wikiより
師である吉田松陰は高杉の非凡さを逸早く見抜き、剣術ばかりであまり学業に本腰を入れない高杉を奮起させるためあえて、同門で幼馴染でもある優秀な久坂ばかりをべた褒めしたという。高杉は悔しさをバネに自身の非凡さを発揮。久坂と肩を並べお互いを切磋琢磨しあうなどとても優秀であったという。
(引用終了)
これがコレクティブエフィカシーです。
分かりますか?
ぬるま湯では人は成長しないのです。
現状をもっとヌルくするだけです。
おっと、余談が過ぎましたが、話を戻して、
今回は身体意識です。
まずは、奇兵隊の写真をご覧下さい。

我々が写真を撮った時と何が違うか分かりますか?
明らかに、迫力から、身体から違うと思います。
全員、身体がスッと立っていて、天と地に何かの軸が通っているように感じると思います。
これが『センター』という身体意識です。
これをまずは覚えておいて下さい。
現代社会では、ほとんどいらっしゃいません。(いるけど。)
僕が街を歩けば人の身体がぐちゃぐちゃのゾンビに観えるくらいです。
ゾンビは気功禁術『真界』で少なくとも楽な身体に浄化だ。(冗談です。)
で、現代社会では、身体が置いてけぼりになっています。
それもいいのかもしれませんが・・・
肩こり、イライラ、腰痛、医療問題、現代病、養生という観点から観ていくと、身体の置いてけぼりはまずいのではないか?外見やメイクだけで着飾っても、内側がボロボロでは、美肌も、美容もあったものじゃありません。
と僕は思っています。
本当の美しさって何なのでしょうか?
・・・
僕は、生と死は誰にでも訪れ、生ずることも、滅することもありませんが、野に咲く花のように着飾っていないものが、本当に美しいものだと思っています。で、舞台裏としては野に咲く花は、着飾って無いようにみえても生きるために必死です。まぁ、モノサシは人それぞれでしょうが。
身体は今のところは一生付き合う宝物です。
なのに、みんなおざなりになり過ぎです。
・・・
(引用開始)
己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る
恐るるにたらず
(引用終了)吉田松陰
住んでいるところと
近況繋がりで、親しみが湧きますね。
まさに、恐るるに足らず、でしょう。
といって、たまに足を引っ掛けられるんですがね。
最近は華麗にぶっ飛ばします。
そして、「無志」では当然離れるしかなくなります。
夢がないのです。
サッカーでの何かしらの志がないのに、プロサッカーチームにいるようなものです。
・・・
自戒を込めて。

松蔭は肚が座っていて、手の先まで自然なゆるみ具合。
このレベルで手が、手首が、手根骨が、緩んで読書できる人はまずいません。
松蔭の読書中の静けさがスーッと漂ってくるように思います。
素晴らしいですね。
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