
【碑文】
業精於勤,荒於嬉 韓愈
【日訳】
業(ぎょう)は勤(つと)むるに精(くわ)しく、
嬉(たの)しむに荒(すさ)む。
【意味】
学業は勤めれば勤めるほど精通するが、反対に遊びにふけっていればいる
ほどすさんでだめになるものだ。
【解説】
中唐の詩人文章家の韓愈(768~824)作「進学解」の中の一文だそうです。
碑文の前後文を付け加えますと次のようになります。
原文
簡体字
国子先生,晨入太学,招诸生立馆下,诲之曰:业精于勤,荒于嬉;行成于思,毁于随。
方今圣贤相逢,治具毕张,拔去凶邪,登崇俊良。
繁体字
國子先生,晨入太學,召諸生立館下,誨之曰:業精於勤,荒於嬉。行成於思,毀於隨。
方今聖賢相逢,治具畢張,拔去兇邪,登崇俊良。
書き下し文
國子先生,晨(あした)に太學に入り,諸生を召いて館下に立たしめ,之に誨(おし)えて曰く:「業は勤むるに於て精しく,嬉しむに於て荒む。行(おこない)は思うに於て成りて,隨うに於て毀(やぶ)る。方今(ほうこん)聖賢(せいけん)相い逢いて,治具(ちぐ)畢(ことごと)く張り,兇邪(きょうじゃ)を拔去(ばっきょ)し,俊良(しゅんりょう)を登崇(とうすう)す。
【作者紹介】
韓 愈(かん ゆ、768年(大暦3年) - 824年(長慶4年))は、中国・唐中期を代表する文人・士大夫である。字は退之(たいし)、諡は文公。鄧州河陽(今の河南省孟州市)の人であるが、昌黎(河北省)の出身であると自称した。唐宋八大家の一人。諡によって「韓文公」ともよばれる。
作品
韓愈は、六朝以来の文章の主流であった四六駢儷文が修辞主義に傾斜する傾向を批判し、秦漢以前の文を範とした達意の文体を提唱し(古文復興運動)、唐宋八大家の第一に数えられている。この運動に共鳴した柳宗元は、韓愈とともに「韓柳」と並称される。
古文復興運動は、彼の思想の基盤である儒教の復興と表裏をなすものであり、その観点から著された文章として、「原人」「原道」「原性」などが残されている。その排仏論も、六朝から隋唐にかけての崇仏の傾向を斥け、中国古来の儒教の地位を回復しようとする、彼の儒教復興の姿勢からきたものであった。その傾向を受けついだのは高弟の李翺である。
詩人としては、新奇な語句を多用する難解な詩風が特徴で、平易で通俗的な詩風を特徴とする白居易に対抗する中唐詩壇の一派を形成し、孟郊・張籍・李賀・王建・賈島など「韓門の弟子」と称する詩人たちを輩出した。
文集に『韓昌黎集』40巻、『外集』10巻がある。《出典:Wikipedia》