
広島県江田島市にある海上自衛隊第一術科学校の見学に行きました。
見学は無料ですが、担当自衛官の案内で、決められた時間・順路・見学順路(施設)を
回ります。所要時間は、1時間30分です。また、平日3度、土日祝は4度の見学があり、
私達は、平日13:00~14:30の第2回目見学をさせて戴きました。
自衛隊の教育機関であり、定められたルールの下、決められた順路に従って見学します。
この見学記は今回で3回目になりますが、今日は教育参考館・及び傍に展示してある特殊
潜航艇の写真をお送りいたします。しかしながら、教育参考館の内部は写真撮影が許されて
いません。展示品は各将校の書や海軍短剣・その他遺品などが並べられ、一見の価値が
あります。
《2016.7.8 周南市 東郭》

【教育参考館について】
ギリシャ神殿風の鉄筋コンクリート造の2階建てのこの教育参考館は、先輩の偉業を偲び、
「温故知新」によって自己修養と学術研鑽の資とするため、兵学校卒業生の積立金及び一般
企業等の寄付をもって、昭和11年(1936)に建築されました。
教育参考館には、戦前約40,000点の歴史的資料が保存されておりましたが、終戦時、
一部の貴重な資料を厳島神社、大山祗神社等に奉納した他は、進駐軍による没収を恐れ焼却
処分とされました。

現在は、返却された資料等約16,000点を保存しており、そのうち約1,000点を展
示しております。
主な展示資料
・勝海舟の書
・広瀬武夫中佐の資料
・佐久間勉大尉(第6潜水艇長)の遺書
・海軍将校の書
・特攻隊員の遺書
・横山大観画伯の富士を描いた作品「正気放光」
等があります。年間約7万人の見学者が同館を訪れています。
《出典:第一術科学校HP》

教育参考館内の撮影は出来ませんでしたが、第一術科学校HPでは、館内展示品の紹介を
しています。その最初に吉田松陰先生の書が出ています。幕末の思想家として日本の植民地
化を危惧した兵学者でもあり、松下村塾を主宰しました。
私も山口県人として特に松陰先生への思慕は篤く、その書を紹介します。
今回、大講堂の素材となった徳山の黒髪みかげや周防大島陸奥記念館にある艦首(一部)、
副砲展示と関連して戦艦陸奥艦首の御紋章が引き上げられて展示されていたことは、
より深く江田島を身近に感じることが出来ました。

吉田松陰先生書
臣罪如山今日行 臣罪 山の如くして今日を行く、
檻輿何顔拜帝京 檻輿(かんよ) 何の顔(かんばせ)をして帝京を拜せん。
上林陰雨愁難霽 上林の陰雨 愁い霽(は)れ難く、
東海風波険未平 東海の風波 険しく未だ平かず。
無補蜻洲千歳業 蜻洲(せいしゅう)千歳の業に補い無く、
空偸蠹簡百年名 蠹簡(とかん)空しく百年の名を偸む。
極知汝痛加人痛 極めて汝の痛みは人の痛みに加(まさ)れりを知る、
眞涙神交隔世情 眞に神交 世情の隔たるを涙す。
檻輿(かんよ)=罪人護送用の輿
霽(は)れ=晴れる、心のうやむやがはれる
蜻洲(せいしゅう)= 蜻蛉洲(あきつしま)?
蠹簡(とかん)=虫が食った書物

吉田松陰先生

教育参考館の扉

特殊潜航艇


特殊潜航艇

空気ボンベ


特殊潜航艇

特殊潜航艇



特殊潜航艇(海竜)



魚雷


砲弾


砲弾


第一術科学校の見学でガイドを務めてくださった自衛官殿、ガイドが終わり最後の挨拶。
厳しいなかにもユーモアたっぷりのガイドは、楽しいものでした。有難うございました。

護衛艦「くらま」の哨戒ヘリ(模型)

護衛艦「くらま」
基準排水量 5,200t
主機械 タービン2基2軸
速 力 31kt
馬 力 70,000PS
定 員 360名
主要寸法 159x17.5x11.0x5.5m(長さ、幅、深さ、喫水)


江田島クラブの海軍カレー
ガイドさんのお薦めもあって、海軍カレーを食べました。非常に美味しかったです。
海軍カレーとは、大日本帝国海軍の糧食に由来する、カレーおよびカレーライスのこと
である。特徴はカレーに小麦粉を炒めて作ったルーを使うことであり、一般的に日本の
カレーライスと言う場合、この海軍カレーに類するものを指す場合が多い。
帝国海軍の流れを汲む海上自衛隊のカレーライスは、副食として、サラダ、牛乳、ゆで卵等
が付けられ、艦内での乗組員の栄養に配慮している。《Wikipedia》

第一術科学校の入って来た正門に向っています。
どうも、有難うございました。
御来訪の皆さま、どうも有難うございます!