閑谷学校のあいうえお論語「も」、秋山好古も述而から生まれた!? | 周南市 東郭の世界

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            岡山閑谷学校の石塀
 
 
 
 
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        論語 述而第七

 

【原文】

 

子曰默而識之學而不厭誨人不倦何有於我哉。

zǐyuēmòérzhīxuéérbùyànhuìrénbùjuànhéyŏuyúwŏzāi

 

【読み下し文】

 

子曰く、黙して之を識り、学びて厭わず、人を誨えて倦まず。

何か我に有らんや。

 

【語句意味】

 

黙(もく)・・・黙る、声を出さない

識(し)る・・・覚える、記憶する、書き記す

厭(いと)う・・・飽きる、満足する、充分だと感じる

誨(おし)える・・・教え導く

倦(う)む・・・飽きる、疲れる、くたびれる
 

【東郭解説】
 

孔子は仰った。黙って覚える、満足することなく学ぶ、人を教えて飽きない、

 
わたしに、なにができようというのだ、これ以外になにも出来はしない。

 
孔子の学問の対する心構えを述べてあります。

 

この章句は、論語述而第七の2にあり、“誨人不倦” が成語になっています。

 
最初の “黙而識之”、と同じように論語述而第七の1に “述而不作”があります。

 

「述而不作、信而好古、竊比於我老彭」で“述べて作らず、信じて古(いにしえ)を

 
好む、ひそかに我老彭に比す“と読むのですが、小説「坂の上の雲」の秋山好古の

 
名前の語源になった語句です。幼名を信三郎ですから、まさに信而好古というべき

 
でしょう。秋山好古は松山藩士で陸軍大将、日露戦争で奇兵隊を率いて満州で

 
功績をあげ「日本騎兵の父」、「最後の古武士」と呼ばれた人です。

 
お酒がめっぽう強くて馬上で袁世凱とも飲み比べした場面などもありましたが、

 
決して乱れることはなかったそうです。好古と云う名前が、彼の性格に与えた

 
影響はわかりませんが、生き様はまさに、信而好古であったと思います。

 
2016.3.29 周南市 東郭》