大宰府観世音寺(1) | 周南市 東郭の世界

周南市 東郭の世界

Yahoo blog経歴10年でアメブロへ移行しました。
一応、貴重な記事・画像は移行成功しているようで、引き続き東郭の世界を楽しんで下さい。令和元年から新しいアメブロで頑張ります。 “ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ”

イメージ 1
 
大宰府の観世音寺に参拝に行って来ました。
 
なにしろ、斉明天皇が大宰府で没(661年)し、子の天智天皇が母の菩提を弔うために建て
 
た勅願寺というので、西国一の大伽藍を有するというのです。大宰府政庁創建時のなかの
 
お寺で敷地も3町四方あったといゝますから、当時最大級のものだったのでしょう。
 
しかし、今回、訪れてみると建物は、講堂と金堂くらいでした。火災と風雨の被害で再建も
 
続かなかったようです。寛永7年(1630年)の暴風雨で、当時唯一残っていた金堂が倒壊
 
し、観世音寺は廃寺同然の状況に追い込まれた。翌寛永8年(1631年)に金堂が、元禄元年
 
1688年)には講堂(本堂)が藩主黒田家によって復興されたと説明されていました。
 
しかし、貴重な仏像群は、今猶残っており別の宝蔵へ保管されて展示されています。
 
宝蔵内の巨大な仏像10数体は圧巻で、重要文化財に指定されています。
 
                         《2016.1.28 周南市 東郭》
 
イメージ 3
 
 
イメージ 2
 
                  講 堂(本堂)
 
 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
                 観世音寺講堂の扁額
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
                山号「清水山」の扁額
 
 
 
 観世音寺
山号    清水山
宗派    天台宗
本尊    聖観音

創建年   7世紀後半の発願
完成は天平18年(746年)

開基    天智天皇
札所等   九州西国33観音33

文化財   梵鐘(国宝)
木造聖観音坐像等17件(国の重要文化財)
境内および子院跡(国の史跡)
金堂・講堂(福岡県指定文化財)

所在地   福岡県太宰府市観世音寺五丁目61
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
聖観音立像
 
 
 
 
 
 
イメージ 7
 
 
イメージ 8
 
 
 
イメージ 9
 
 
             奈良時代の天平石臼(碾磑=てんがい)
 
 
 
イメージ 10

講堂「本堂」ともいう。
 
境内正面奥の一段高くなった位置に建つ、入母屋造瓦葺き二重屋根の仏堂。
 
元禄元年(1688年)再建。1959年に宝蔵(収蔵庫)ができるまでは、像高5メートル前後の
 
巨像3体を含む5体の観音像を安置していた。
 
すなわち、堂内中央に本尊聖観音坐像を安置し、その左に十一面観音立像(像高5m)、右に
 
不空羂索観音立像、東の壁際には十一面観音立像(像高3m)、西の壁際には馬頭観音立像が
 
安置されていた。
 
現在これらの像は宝蔵へ移動され、堂内にはもと金堂にあった聖観音立像を安置する。
 
堂の周辺に残る礎石は、かつては創建当初のものと考えられていたが、発掘調査の結果、
 
現在地表に見える礎石は平安時代以降のものと確認された。堂の左手前には奈良時代のもの
 
と伝承する石臼(碾磑)がある。《Wikipediaより》
 

 
 
 
 
イメージ 11

金堂
 
入母屋造瓦葺きの簡素な建物で、寛永8年(1631)再建。境内の西側、創建時の金堂の跡に
 
建つ。1959年に宝蔵(収蔵庫)ができるまでは、堂内中央に本尊阿弥陀如来坐像を安置し、
 
その左右に四天王像、北の壁際には十一面観音立像、大黒天立像、地蔵菩薩半跏像、阿弥陀
 
如来立像、南の壁際には吉祥天立像、地蔵菩薩立像、兜跋毘沙門天立像、聖観音立像が安置
 
されていた。現在これらの像は宝蔵等へ移動され、堂内には不動明王坐像が安置されてい
 
る。《Wikipediaより》

 
イメージ 12
 
 
 
 
イメージ 13
 
 
 
             金堂の「南無阿弥陀仏」の扁額
 
 
 
 
 
 
イメージ 14
 
 
 
                  不動明王坐像
 
 
 
 
 
イメージ 15
 
 
                    金堂内