
大宰府の観世音寺に参拝に行って来ました。
なにしろ、斉明天皇が大宰府で没(661年)し、子の天智天皇が母の菩提を弔うために建て
た勅願寺というので、西国一の大伽藍を有するというのです。大宰府政庁創建時のなかの
お寺で敷地も3町四方あったといゝますから、当時最大級のものだったのでしょう。
しかし、今回、訪れてみると建物は、講堂と金堂くらいでした。火災と風雨の被害で再建も
続かなかったようです。寛永7年(1630年)の暴風雨で、当時唯一残っていた金堂が倒壊
し、観世音寺は廃寺同然の状況に追い込まれた。翌寛永8年(1631年)に金堂が、元禄元年
(1688年)には講堂(本堂)が藩主黒田家によって復興されたと説明されていました。
しかし、貴重な仏像群は、今猶残っており別の宝蔵へ保管されて展示されています。
宝蔵内の巨大な仏像10数体は圧巻で、重要文化財に指定されています。
《2016.1.28 周南市 東郭》


講 堂(本堂)

観世音寺講堂の扁額

山号「清水山」の扁額
観世音寺
山号 清水山
宗派 天台宗
本尊 聖観音
創建年 7世紀後半の発願
完成は天平18年(746年)
開基 天智天皇
札所等 九州西国33観音33番
文化財 梵鐘(国宝)
木造聖観音坐像等17件(国の重要文化財)
境内および子院跡(国の史跡)
金堂・講堂(福岡県指定文化財)
所在地 福岡県太宰府市観世音寺五丁目6番1号

聖観音立像



奈良時代の天平石臼(碾磑=てんがい)

講堂「本堂」ともいう。
境内正面奥の一段高くなった位置に建つ、入母屋造瓦葺き二重屋根の仏堂。
元禄元年(1688年)再建。1959年に宝蔵(収蔵庫)ができるまでは、像高5メートル前後の
巨像3体を含む5体の観音像を安置していた。
すなわち、堂内中央に本尊聖観音坐像を安置し、その左に十一面観音立像(像高5m)、右に
不空羂索観音立像、東の壁際には十一面観音立像(像高3m)、西の壁際には馬頭観音立像が
安置されていた。
現在これらの像は宝蔵へ移動され、堂内にはもと金堂にあった聖観音立像を安置する。
堂の周辺に残る礎石は、かつては創建当初のものと考えられていたが、発掘調査の結果、
現在地表に見える礎石は平安時代以降のものと確認された。堂の左手前には奈良時代のもの
と伝承する石臼(碾磑)がある。《Wikipediaより》

金堂
入母屋造瓦葺きの簡素な建物で、寛永8年(1631)再建。境内の西側、創建時の金堂の跡に
建つ。1959年に宝蔵(収蔵庫)ができるまでは、堂内中央に本尊阿弥陀如来坐像を安置し、
その左右に四天王像、北の壁際には十一面観音立像、大黒天立像、地蔵菩薩半跏像、阿弥陀
如来立像、南の壁際には吉祥天立像、地蔵菩薩立像、兜跋毘沙門天立像、聖観音立像が安置
されていた。現在これらの像は宝蔵等へ移動され、堂内には不動明王坐像が安置されてい
る。《Wikipediaより》


金堂の「南無阿弥陀仏」の扁額

不動明王坐像

金堂内