
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」第32回 ”大逆転” が8月9日放映されました。
今回は、長州藩の保守派(俗論派)と革新派(正義派)との武力衝突を中心に描いていま
す。
その第一弾は、功山寺挙兵です。元治元年12月15日夜雪の降る中功山寺の高杉晋作のもとに
集まったのは、伊藤利助の率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊の84名と伝えられていま
す。明治維新の発端は、この功山寺挙兵と意義つけて書物も多く、続く下関新地の萩藩会所
を占拠、下関を制圧し、続いて18人の決死隊を編成、三田尻の海軍局に乗り込み軍艦三隻
を奪って、下関に回航した事により、腹の決まらなかった奇兵隊・諸隊も高杉に従うように
なります。大田絵堂の戦いは、萩の政府軍2000名と高杉の決起軍3000名の武力衝突で、
元治2年(1865年)正月6日夜半から正月16日の10日間でしたが、民衆の応援や近代火器を
用いた正義派の勝利になりました。大田・絵堂戦役150周年実行委員会の池田善文氏は、
『大田・絵堂戦役は、逆転しかけた歴史の歯車を危機一髪で回天させた、明治維新先駆けの
戦いとなり、近代国家の夜明けを迎える意義ある戦いであった。』と述べています。
高杉晋作は、椋梨藤太らの俗論派から九州へ逃げましたが、ようやく考えがまとまったのか
下関へ秘かに戻ります。このとき晋作を助けたのが、勤皇の豪商白石正一郎でした。
白石正一郎と言う人は、誠に立派な人で商人として分を心得た人でした。勤王の志のもと
商人は財力で勤皇志士を応援するという信念を貫きました。そのため、後に経済破綻する
結果になりましたが、武士は命を投げ出し、商人は財産を投げ出して志を遂げようとしまし
た。晋作は、上海や長崎グラバーなどで、近代戦を研究し最新のミニエー銃(ライフル)を
大量に仕入れています。また、兵力は、食料供給が必需ですが、農民たちが進んで供出する
ムードを作り出しています。長州藩は、高杉の挙兵で藩論が完全に統一されます。
「みわ」さんが、”命を大切に”、”武士も民衆も格差はない”とドラマ最初から念仏のように
言っていましたが、松陰先生の草莽崛起の精神がドラマ上でも見えて来ました。
今回か次回までは、長州藩内部のことですが、この民衆の草莽崛起が全国に広がって戊辰戦
争になるのですね。
当ブロク「長州歴史文化散歩」2013.9.30の投稿で高杉晋作の回天義挙の話がありますので
転載いたします。

この「焦心録に題す」高杉東行の漢詩は、“親を捨て子を捨つる亦、
なんぞ悲しまん” と読み、この義挙にあたる決心を、たとえ親を捨て子を捨てる
様なことであっても、どうして悲しまれようか・・・と詠っています。
親を捨て子と捨てゝも、やり遂げようという決意は、逆に親や子を思えばこそ
挙兵するんだとい反語になっています。
じつは、同じく「焦心録後に題す」という漢詩があって、
内憂外患迫吾州 正是存亡危急秋
唯為邦君為家国 焦心砕骨又何愁
唯為邦君為家国 焦心砕骨又何愁
と、なっています。前7文字は、同じで「内憂外患吾が州に迫る存亡の秋(とき)」
でありますが、後が違います。
“唯、邦君が為、国家が為、焦心粉骨して、どうして愁うることがあろうか” と
兵士を激励する漢詩にしたようです。
