【花燃ゆ】第18回「龍馬! 登場」伊原剛志は素晴らしい! | 周南市 東郭の世界

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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」第18回 ”龍馬!登場が5月3日放映されました。
 
安政6年10月27日江戸伝馬町牢獄で吉田松陰が処刑されてから文久2年の事について
 
描いています。安政の大獄は吉田松陰が最後の処刑者とされていますが、その指図者の
 
幕府大老井伊直弼も翌年安政7年3月3日に桜田門外の変で元水戸藩浪人等に殺害されて
 
しまいます。
 

老中・阿部正弘や前水戸藩主・斉昭、薩摩藩主・斉彬らが主導した雄藩協調体制を否定、
 
幕閣絶対主義を反対者の粛清により維持しつつ、朝廷からの政治介入をも阻止するという
 
大老・井伊直弼の専制政策路線は、自身の死によって決定的に破綻した。
 
そればかりか、徳川御三家の水戸徳川家と、譜代大名筆頭の井伊家が反目、長年持続した
 
江戸幕府の権威も大きく失墜し、文久期以降に尊王攘夷運動が激化する端緒となった。
 
ここからわずか7年と7ヶ月後の慶応3年(1867年)10月14日、第15代将軍・徳川慶喜に
 
よって大政奉還が成され、同年の江戸開城により急転直下で成る明治維新への、直接的で
 
はっきりした起点がこの桜田門外の変であった。《Wikipediaより

この時期に長州藩の直目付になった長井雅楽(うた)は、航海遠略策を藩主敬親公に建白し
 
幕府もこれを歓迎して公武合体を勧めようとします。朝廷と幕府が仲良くしようとした
 
この試みは皇女和の宮降嫁(文久2年2月11日)によって実現されますが、最早日本国
 
全体の治安は混乱の極に達していて、そんな眼先の対応策は却って混乱の度合いを深めた
 
結果になって行きます。長州藩でも江戸に居た長井雅楽が吉田松陰の召喚状を持って帰って
 
来たことから、航海遠略策の幕府へのご機嫌取りの為に策動したのではないか?と疑われ
 
久坂玄瑞や前原一誠らが暗殺を実行しようとします。その場面がテレビでも放映されていま
 
した。松下村塾においては、精神的指導者の師を失った為、久坂玄瑞が遺志を受け継いで
 
草莽崛起を促します。松下村塾の双璧と言われた高杉晋作は、文久2年上海視察へ行きます
 
が、これは幕府使節随行員長州藩代表として行ったもので、塾生と交流するのは12月12日
 
の英国公使館焼き打ちや翌文久3年1月5日小塚原の松陰遺骨を世田谷の松陰神社へ改葬する
 
ときなどで、今回は登場していませんでした。ところが、松下村塾を訪ねて来たのは、
 
なんと坂本龍馬でしたね。吉田松陰の草莽崛起論中で”那波列翁を起してフレーヘードを
 
唱へねば腹悶医し難し”とありますが、この”フレーヘード”は自由への解き放ちであります。
 
ドラマは、坂本龍馬がこれに大変共感して、武市半平太との連絡をしたり後の薩長同盟の
 
仲人役をするようになるデビューの日になっています。上海へ視察に行った高杉晋作は
 
土産に持って帰った二丁のピストルの内、一丁を坂本龍馬へプレゼントして護身に役立てる
 
よう言っています。