吉田松陰の留魂録を読んでみよう(九節) | 周南市 東郭の世界

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     松陰神社(東京都世田谷区若林4丁目)の維新祭り
 
 
 
 
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留 魂 録
 
 
 
 
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
 
 
 
 
十月念五日           二十一回猛士
 
 
 
 
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原文】は、16節ありまして、今回は第九節です。
 
 
 
 
 
 
 
 
一、東口揚屋ニ居ル水戸ノ郷士堀江克之助余未タ一面ナシト雖ト

  モ真ニ知己ナリ真ニ益友ナリ余ニ謂テ曰昔シ矢部駿刕ハ桑名

  侯ヘ御預ケノ日ヨリ絶食シテ敵讐ヲ詛テ死シ果シテ敵讐ヲ退

  ケタリ今足下モ自ラ一死ヲ期スルカラハ祈念ヲ篭テ内外ノ敵

  ヲ拂ハレヨ一心ヲ残置テ給ハレヨト丁寧ニ告戒セリ吾誠ニ此

  言ニ感服ス又鮎沢伊太夫ハ水藩ノ士ニシテ堀江ト同居ス余ニ
  告テ曰今足下ノ御沙汰モ未タ測ラレズ小子ハ海外ニ赴ケハ
  下ノ事總テ天命ニ付センノミ但シ天下ノ益トナルヘキ事ハ同
  志ニ托シ後輩ニ残シ度コトナリト此言大ニ吾志ヲ得タリ吾ノ
  祈念ヲ篭ル所ハ同志ノ士甲斐々々シク吾志ヲ継紹シテ尊攘ノ
  大功ヲ建テヨカシナリ吾死ストモ堀鮎二子ノ如キハ海外ニ在
  トモ獄中ニ在トモ吾カ同志タラン者願クハ交ヲ結ベカシ又本
  所亀沢町ニ山口三輶ト云医者アリ義ヲ好ム人ト見ヘテ堀鮎二
  子ノ事ナト外間ニ在テ大ニ周旋セリ尤モ及フヘカラサルハ未
  タ一面モナキ小林民部ノ事二子ヨリ申遣タレハ小林ノ為メニ
  モ亦大ニ周旋セリ 此人想フニ不凡ナラン且三子ヘノ通路ハ此
  三輶老ニ托スヘシ
 
 
 
 
【読み下し文】
 
 
東口揚屋(あがりや)に居る水戸の郷士堀江克之助(よしのすけ)、
 
余未だ一面なしと雖も真に知己なり、真に益友なり。余に謂(い)って曰く、
 
「昔、矢部駿州(やべしゅんしゅう)は桑名侯(くわなこう)へ御預けの日より
 
絶食して敵讐を詛(のろ)ひて死し、果たして敵讐(てきしゅう)を退(しりぞ)けたり。
 
今足下も自ら一死を期するからは祈念を籠(こ)めて内外の敵を払はれよ、一心を残し
 
置きて給はれよ」と丁寧に告戒(こくかい)せり。吾れ誠に此の言に感服す。
 
又鮎沢伊太夫(あゆざわいたゆう)は水藩(すいはん)の士にして堀江と同居す。
 
余に告げて曰く、「今足下の御沙汰も未だ測られず、少子は海外に赴けば、天下の事
 
総べて天命に付せんのみ、但し天下の益となるべき事は同士に托し後輩に残し度きこと
 
なり」と。此の言大いに吾が志を得たり。吾れの祈念を籠むる所は同志の士甲斐々々しく
 
吾が志を継紹(けいしょう)して尊攘(そんじょう)の大功(たいこう)を建てよかし
 
なり。吾れ死すとも堀.鮎二子の如きは海外に在りとも獄中に在りとも、吾が同志たらん
 
者願はくは交りを結べかし。又本所亀沢町に山口三輶(やまぐちさんゆう)と云ふ医者
 
あり。義を好む人と見えて堀.鮎二子の事など外間に在りて大いに周旋せり。
 
尤も及ぶべからざるは、未だ一面もなき小林民部(こばやしみんぶ)の事二子より申し
 
遣(つか)はしたれば、小林の為にも亦大いに周旋せり。
 
此の人想ふに不凡(ふぼん)ならん、且つ三子への通路は此の三輶(さんゆう)老に
 
托すべし。
 

【用語解説】・・・《吉田松陰.Comより》
 
東口揚屋=伝馬獄の東側の入口にある座敷牢。御目見(おめみえ)以下の直参、陪臣、僧侶、医師などが入牢する。
郷士=江戸時代、郷村に在住した武士。
堀江克之助=一八一○~七一 号は無名。水戸(茨城県)藩郷士。安政四年、アメリカ総領事ハリスが将軍と会見するため登城するのを要撃しようとして捕えられ、江戸獄に下った。明治二年没。
矢部駿州=一七八九~一八四二 矢部駿河守定謙。堺町奉行、大坂町奉行、勘定奉行を歴任。天保一二年、江戸町奉行の時、民政改革に努めたが故あって免職。翌年、配所桑名(三重県桑名市)で絶食死。
敵讐=かたき。   告戒=教え諭すこと。
鮎沢伊太夫=一八二四~六八 名は国維、字は廉夫。水戸藩(茨城県)士。尊王家。水戸密勅問題で投獄され、安政六年八月遠島の刑を受けた。明治元年戊辰の役で戦死。
水藩=水戸藩。   御沙汰=様子。消息。   少子=わたし。
海外に赴けば=遠島の刑を受け、豊後佐伯に行くので。
天命に付せんのみ=運命に任せるだけである。
吾が志を得たり=同じ志で満足である。
山口三輶=江戸本所亀沢町の医者。志士の面倒をよく見た。   外間=外部。獄外。
周旋=世話をすること。
小林民部=一八○八~五九 名は良典。鷹司家の諸大夫。民部権大輔。尊攘運動に奔走。安政五年、水戸密勅事件で捕えられ、翌年江戸伝馬牢で獄死。
不凡=普通よりも優れていること。非凡。   通路=連絡
 

【東郭訳解】伝馬獄の東側の入口にある座敷牢(東口揚屋)いる水戸郷士堀江克之助は、
 
これまで面識がなかったが真の知己、益友なり。※松陰先生は西奥揚屋に入れられていまし
 
た。その彼が私に言うには、昔幕臣の矢部駿州は江戸町奉行のとき藩政改革策が受け入れら
 
れず桑名藩にお預けになったが、仇を怨んで絶食をして死んだが後に彼の正しいことが、
 
判りその仇を退けた。今、足下(そっか)=貴殿も一死を決意するからには、祈念を込めて
 
内外の敵を打ち払うことです。その心を書きとめて後世に残されよ。と丁寧に教え諭してく
 
れた。私はまこと、この言葉に感服した。
 
鮎沢伊太夫は水戸藩の藩士で堀江克之助と同獄にいるが私に、今貴殿の判決がどのように
 
成るか判らないが、私は遠島の刑を受け豊後佐伯に行くので天下の事は全て天命に任せる
 
しかない、但し天下の益になることは同志に託して後輩に書き遺しておくべきだと思いま
 
す。私(松陰)は、この言葉に大いに志に共感した。私の祈念とする尊王攘夷の志は同志の
 
諸君が受け継いで尊王攘夷の大功を果たして欲しい。私が死んでも堀、鮎沢両氏のように遠
 
島になろうと獄中にあろうと私の尊王攘夷思想の同志たらんとするものは、願って交わりを
 
持って欲しい。又本所亀沢町に山口三輶(やまぐちさんゆう)と云う医者が居る。義に厚い
 
人と見えて獄外で堀、鮎沢両氏の支援をしている。もっとも及ばないと思ったのは、まだ
 
一面識もない小林民部の事を両氏より頼まれて小林の為に大いに支援していることである。
 
この人は非凡な人である。なので三氏への連絡は山口三輶老に託しなさい。

この九節から留魂録は、後輩へ尊攘を託す思いが書かれています。最初は権詐で
 
 全うな論議にならなかった悔しさを書いていますが、死を悟り、尚至誠通天で
 
 
 死んだ後にも尊王攘夷を実現しようと準備する文章です。