ちょっといゝ話 中村ブライス町おこし | 周南市 東郭の世界

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一応、貴重な記事・画像は移行成功しているようで、引き続き東郭の世界を楽しんで下さい。令和元年から新しいアメブロで頑張ります。 “ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ”

石見銀山を見学に行った時の事です。
 
大森の町並を散策している途中、初老の男性ふたり連れが話しながらやって来ました。
 
その二人は、当地の在住の髭を伸ばした山男のような風貌で、もう一人は役場出身者のよう
 
な律義な感じでした。どうやら話が終ったようで、その山男さん私達の処へ寄って来て
 
”散策されているのなら、是非、中村ブライス を見ていって下さい!” と勧めるのです。
 
「中村ブライス」というのは、義肢メーカーで社長はアメリカから帰って此処で起業した
 
そうです。それは生まれ故郷への愛から過疎のこの町を選んだという動機がもとになった
 
と云うのです。その義肢(義足や義手など)の品質は大変高度で良質との評判が高く
 
東京なんかで起業してもいくらでもやっていけるのに・・・、と続けられ、働く場所のない
 
此処へ雇用の機会を創出し、いまではこれを聞いて県外からも若者が働きに来て在住する
 
ようになったんじゃ!” と大変な感謝のされようです。その山男は失礼ですが町長のような
 
人だと思ったのですが、私もその話を聞いて興味が湧き下記紹介したく思ったわけです。
 
現在の過疎地といわれる山村や漁村は、若者の働く場所がないのが主な原因です。従って
 
家族も子供も定着出来ず、過疎に拍車を掛けています。
 
それを逆手にすれば、過疎は解消するという社長の理念は素晴らしい発想です。
 
 
                           《2015.4.4 周南市 東郭》
 
 
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赤丸が中村ブライスの所在地
 
 
 
 
 
 
 
 
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中村ブライス
 

本社所在地               (694-0305)島根県大田市大森町132

 
 
 設立                         198210

業種                         精密機器

事業内容                   義肢装具の製造

代表者                      中村俊郎
 
 

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 昭和49年(1974年)1220日、中村俊郎が創業しました。

京都と米国カリフォルニア州での義肢装具製作の研修・留学を経て、郷里である大田市

 

大森町にUターンしての只一人での起業でした。

 
 
当時大森町は人口650人(現在500人)、自宅前の10坪(33平方m)の納屋を改装しただ
 

けの、全てに厳しい状況下でのスタートでした。

 
 
義肢装具は障害を受けた方に処方され、製作する医療用具です。人々の元気の「もと」と
 
なることを願い、そして過疎化のすすむ史跡の町石見銀山再生の一助になればと、社員と
 
ともに一丸となって努力を続けてまいりました。
 

昭和57年(1982年)に法人化(株式会社)し、日本国内の医療機関・義肢装具製作会社、

 

さらに海外の多くの国々とも交流するまでに成長することができました。
 

 
20077月、本社のある大森町は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」としてユネスコの
 
世界遺産に登録され、国内外のみなさんと一緒に、世界の宝となった感動と喜びを分かち
 
あいました。 《HP中村社長談》
 

 
 
 
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            「空想の翼で駆け現実の山野を往かん」と書かれています。
 
              この言葉は作家の松本清張氏が昭和60年に大森を訪れた際、
 
               過疎地にありながら義手義足作りに励む若者の姿を見て、贈られた言葉だそうです。
 
 
  
 
 
 
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 大森町は、江戸時代初期には、周辺を含めて20万人もの人が住んでいたそうです。
 
 
 石見銀山の採掘での活況でした。銀の産出は当時、世界の1/3を日本が占め、その
 
 
 多くがこの石見銀山から産出されたものです。時の為政者は、まずこの石見銀山に
 
 
 目を付けたのはいうまでもありません。関ヶ原の戦いまでは中国地方の大内氏・尼子氏・
 
 
 
 毛利氏などが所有して来ましたが、江戸時代からは徳川幕府が支配するようになりまし
 
 た。しかし、その銀は主に交易の手段として使われ国内では丁銀として流通したくらい
 
 
 で、例えば銀食器とか銀細工のように一般が使う商品にはなりませんでした。
 
 
 
 東郭とすれば、金沢の金細工や奥出雲の日本刀などに発展することがなかったのは
 
 
 まことに、惜しい感じがします。銀の産出は大正時代まで続きますが、実際は江戸末期
 
 
 
 にはもう収量も極端に減っています。石見銀山遺跡とその文化的景観が世界遺産として
 
 登録されたのは、平成19年(2007年)です。世界遺産として観光収入が増えた筈ですが
 
 
 それまでにも町はいろいろ施策をして過疎から脱却しようと取り組んで来ました。
 
 
 先の人口20万人が僅か405人(2015年)185世帯になっているからです。
 
 中でも就業出来る1564歳の人は 113 人、女 97 人です。
 
 この現状を憂い立ちあがった人が、中村ブレイスの中村俊郎さんです。
 
 いまから40年前に会社をここ大森町に設立し努力されまして、現在では従業員が
 
 
 70名となっています。人口405人の大森町で15歳~64歳までの人が210名です。
 
 
  
 
 
 
 この中で70名の雇用をしているということは、大変なことです。しかも年間の
 
 
 
 売り上げが10億円にあがっているといゝますから、成功していると思います。
 
 
 では、その成功の秘密はどこにあるのでしょうか?
 
 
 
 
 
 
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                   工場で働く人達
 
 
 
 
中村社長の談に「義肢装具は障害を受けた方に処方され、製作する医療用具です。
 
人々の元気の「もと」となることを願い、そして過疎化のすすむ史跡の町石見銀山再生
 
の一助になればと、社員とともに一丸となって努力を続けてまいりました」とあります。
 
多くの人の幸せを願い、その主旨に賛同して県外からもここで働きたいひとや生活したい
 
人が来ています。「経営とは社会貢献そのものである」という経営理念に成功の秘密が
 
あるのだろうと思います。CSR(corporate social responsibility)の考えた方を
 
そのもゝ実践されています。
 
まあ、私などが誉めてもなんの役には立ちませんが、この理念と実践に於いて役所や各団体
 
などから表彰されていますので参考までにご覧下さい。
 
 
元気なモノ作り中小企業300社(中小企業庁)

 
2回ものづくり日本大賞(経済産業省)

 
第6回渋沢栄一賞受賞者(埼玉県)

 
34回経済界大賞(中村ブレイス)
 

  企業フィランソロピー大賞(日本フィランソロピー協会)

 
 
 
 
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工場で働く人達
 
 

中村ブレイス株式会社Nakamura BraceCo.,ltd)は島根県大田市に本社を置く医療機器

 
メーカー。義肢・装具や人工乳房などを製造し、世界30カ国から注文を受ける

 

       ①   上肢・下肢用義肢

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       ②   頭部・頸椎用装具             

      ③   外反母趾装具

      ④   人工乳房

                ⑤   人工肛門用装具

   メディカルアート研究所 - 人工乳房など、主に装具の外観に関する研究を行う。

   石見銀山文化賞 - 石見銀山に関する研究や文化活動を行う個人・団体に対する表彰

  制度を実施している。
 
 
☆私は、義肢・装具のことは余り見聞きしたことないので調べてみましたが、ここでは
 
 
 6つの商品をつくっています。世界30カ国から注文を受けるというのは、世界的に見て
 
 
 非常によくフィットする技術があるからだと思います。しかし、この会社の善い処は、
 
 
 
 購入後のサポートをしっかりしてくれて、その人に合うように手直しなんかもするそう
 
 です。ものづくりの日本の真骨頂です。製品を買ったら、最後、なんの面倒も見てくれな
 
 いメーカーや修理を依頼しても部品がないから新品を買いなさいと言って断られるケース
 
 
 が多い世の中ですが、中村ブライスは「個人専用のブライス製品をいつまでも面倒みて呉
 
 れます」その商品に対する「愛情こそ日本の物づくり」の原点です。今も昔も匠たちは
 
 
 
 手作りの製品をとことん愛してきました。とくに、義肢などでは、最大に価値あること
 
 
  
 であろうと思われます。
 
 成功の最大にして最高の秘密は、ここにあるのではないでしょうか!? 
 
 
  世界遺産「石見銀山」の大森町の今後益々の発展をお祈りいたします。