四国別格霊場10番興隆寺 | 周南市 東郭の世界

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四国霊場遍路の旅を紹介しています。
 
今回は、四国別格霊場第10番札所興隆寺(こうりゅうじ)で御座居ます。
 
前回と遍路順が逆になりましたが、バス移動の関係で前後しました。
 
御詠歌は、「み佛の 法(のり)の御山の 法(のり)の水 ながれも清く みゆるぎの橋」です。
 
御由流宜橋と漢字で書きますが、参道入り口に赤い橋が架かっていて、弘法大師が青年の頃、
 
この橋の袂で詠まれた御詠歌で、高野山の御廟橋のように結界に入る決心を表していると
 
思います。
 
この橋板の裏側には、経文が書かれており、無明から光明への架け橋となっています。
 
高野山の御廟橋の橋板裏側(37枚)には、金剛界37尊の梵字が書かれていますね。
 
立て札には靈域に入る心の準備をして、”心して渡られよ”と結んでいます。
 
                            《2014.9.18 周南市 東郭》
 
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四国別格霊場10番興隆寺は、愛媛県西条市丹原町古田1657にございます。
 
 
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                    みゆるぎの橋
 
 
 
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             興隆寺は、モミジの寺として有名です。
 
 
 
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                     山門
 
 
 
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                   仁王様
 
 
 
 
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  山門の彫刻は、門井友祐(山口県人)と書いてありますので、山口県は何処の出身か
 
  調べると、周防大島の人でした。この人は、宮大工でしたが彫り物に興味を持ち
 
  ご覧のような見事な作品を残しています。その繊細な彫り物は、専門家の間でも
 
  評価が高くて、長州大工と呼んでいます。
 
  江戸時代の寛政から大正時代まで、この長州大工と呼ばれる腕のいゝ大工さん達は、
 
  いわゆる出稼ぎで、愛媛・高知へ渡り、お寺や神社の普請にあたったようです。
 
  周防大島の人は、ハワイなど海外へも出稼ぎに行った方が多く、いまでも
 
  交流があるようですが、昔から伝統的に出稼ぎの気風があったような気がします。
 
  私は、いままで”長州大工” という名前を知りませんでしたが、なんだか誇り高い
 
  気がします。古来、日本の職人さんは、棟梁と呼ばれるリーダーのもとで腕を
 
  磨いてきましたが、個人の名前は、一般にはあまり知られません。
 
  例えば、石工でも左官でもみんな地方で組をつくって立派な仕事をする人達の集まりが
 
  あり、地域名+職種で呼ぶ事が多かったようです。今のエリート集団なのでしょう。
 
  門井友祐さんは、その作品からしても立派な芸術家であろうと思います。
 
  でも、日本では仏師以外に柱や欄間に彫り物をする人の評価が以外と低い気がします。
 
  これまでも、88ヶ所霊場をめぐり、彫り物の写真がおおくありますが、人物名が
 
  出て来たのは、この人くらいではないでしょうか。
 
  日本仏教は、仏像ばかりでなく、建築も、彫刻も、芸術価値が高い筈です。
 
  
 
  
 
 
 
 
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                    牛石
 
 
 
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                  まだ、登る。
 
 
 
 
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                    千年杉の古株
 
 
 
 
 
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                    勅使門
 
 
 
 
 
 
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                弘法大師の筆といわれる。
 
 
 
 
 
 
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                  興隆寺銅鐘
 
 
 
 
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                  見事な石垣ですね。
 
 
 
 
 
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          ”分けいっても分け入っても青い山” 山頭火
 
 
 
 
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                    本堂
 


 
寺伝によれば、皇極天皇元年(642年)に空鉢上人によって創建されたといい、
 
その後報恩大師、空海(弘法大師)が入山し、桓武天皇の勅願寺ともなったという。
 
源頼朝、河野氏、歴代の松山藩主、小松藩主をはじめとする地元の有力者の尊崇を得て
 
護持されてきた。
 
現在では、真言宗醍醐派の別格本山となっている。《Wikipediaより》
 


 
 
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本堂向拝
 
        仏法山仏眼院興隆寺(ぶっぽうざん ぶつがんいん こうりゅうじ)
 
                 宗派  真言宗醍醐派
 
                 本尊 千手観世音菩薩
 
                 創建 (伝)皇極天皇元年(642年)
 
                 開基 (伝)空鉢
 
                 住所 愛媛県西条市丹原町古田1657
 
            ご真言  ”おん ばさら たらま きりく”
 
 
 
 
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                    納経帳
 
 
 
 
 
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                 大師堂と三重の塔
 
 
 今回はこれで終わります。
 
 きょうも、お付き合いくださいまして感謝申し上げます。
 
 それでは、次回まで ”ごきげんよう”