四国霊場遍路の旅を紹介しています。
今回は、第40番札所観自在寺(かんじざいじ)で御座居ます。
御詠歌に「心願や自在の春に花咲きて 浮世のがれて住むやけだもの」とありまが、”心願”は
心より神仏に願うことで、心願成就の暁には思うまゝの春に花が咲きます。つまり願いに依っ
て心が解き放たれた状態です。そして、此処(観自在寺)は、世間の煩わしさに左右されない
生き物(けだもの)例えば、兎や猿などが住んでいる楽園なんですよ!と詠んでいます。
”けだもの”の表現が変っているので、住職に尋ねました。
《2014.7.3 周南市 東郭》

第40番札所 観自在寺は、愛媛県宇和郡愛南町御荘平城2253-1にございます。


山門へ向かっています。

大同2年(807年)平城天皇の勅願によって建てられたので、山号を”平城山” としています。

山門の扁額
山門は総欅造りで、200年前建てられたものです。


仁王像

漸く、本堂が見えてきました。

八体仏十二支守り本尊

栄える

本堂
弘法大師が大同2年に平城天皇(在位806〜09)の勅命を受けてこの地を訪れ、1本の霊木から
本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造して安置し、開創したと
されている。このとき、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝判を
造って庶民の病根を除く祈願をなされた。
平城天皇はまた、勅額「平城山」を下賜し、次の嵯峨天皇(在位809〜23)とともに親しく
行幸され、御朱印を下されて『一切経』と『大般若経』を奉納し、毎年勅使を遣わして護摩供
の秘法を修された。こうしたことから、この地方を「御荘」と称し、また勅額の山号に因んで
「平城」とも呼ぶようになっている。
寛永15年(1638)、京都・大覚寺の空性法親王が四国巡拝の折に宿泊され、「薬師院」の院号
を授かっている。このころは七堂伽藍がそびえ、末寺48坊、寺領二千数百石という隆盛を誇っ
ていたという。だが、火災によりすべての堂塔を焼失、その後は宇和島藩主・伊達家の祈願所
として旧観の回復につとめ、法灯を守っている。《四国霊場会HPより》

本堂
平城山 薬師院 観自在寺 (へいじょうざん やくしいん かんじざいじ)
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 薬師如来
創建 大同2年(807年)
開基 弘法大師
住所 愛媛県南宇和郡愛南町
本尊真言 “おん ころころ せんだりまとうぎ そわか”

納経帳

お遍路さんの様子

大師堂

篠山大権現

石塔

宝聚殿八角堂

お忘れ・ぽっくり地蔵

山門を出ます。
本日もお立ち寄り有難うございました(礼)
次回は、第41番札所 龍光寺でございます。