四国遍路の旅を紹介しています。
今回は、第36番札所青龍寺(しょうりゅうじ)で御座居ます。
御詠歌に「わずかなる泉にすめる青龍は仏法守護の誓いとぞきく」とあります。
空海が遣唐使学僧として、長安(西安)の青龍寺で恵果和尚より伝法阿闍梨の潅頂を受け、
密教の全てを引き継ぎます。真言第7祖の恵果は、空海に真言密教を日本で広める理解者で
あったと同時に空海の渡海の目的でもありました。御詠歌の青龍は、その寺そのものであり、
真言密教でもあり、空海でもあり、法具独鈷杵でもあります。806年8月明州(めいしゅう)
の寧波から帰国するおり、日本での真言密教確立布教を誓い、法具を日本の聖地に届くよう投
げたと伝えられます、それが高野山の三鈷杵と、ここ青龍寺に落ちた独鈷杵であります。
ですから、西安(長安)の青龍寺と土佐の青龍寺は繋がっているのです。高野山に落ちた
三鈷杵は、真言密教開山の本となりました。1982年中国は青龍寺遺址を発掘し復興しまし
たが、この時日本真言密教も協力して建造物の寄付をしています。この時、西安青龍寺を
「0番札所」に定めました。
以上のように、土佐青龍寺(御詠歌)は、仏法守護の誓い(とぞきく)なのであります。
《2014.6.26 周南市 東郭》

第36番札所 青龍寺がある処は、高知県土佐市宇佐町竜163でございます。

宇佐大橋
弘法大師(空海)は、浦ノ内湾口を横浪半島へ船で渡ったそうです。
1973年この宇佐大橋が、架けられバスででも青龍寺に行けるようになりました。
地図で見ると、浦ノ内湾というのは、12kmも入り込んでいて特異な地形をしています。

井尻八人衆とありますのは、浦ノ内湾口を渡し船で渡ったおり8人の弟子を残して、
”この渡しをのちの世まで続けよ”といったそうです、その子孫たちは、宇佐大橋が
出来る昭和48年まで「龍の渡し」として渡し守を続けたそうであります。


山門


金剛力士像

本堂までの石段よこにアジサイの花が大きく咲いていました。

本堂

本堂
独鈷山 伊舎那院 青龍寺(とっこうさん いしゃないん しょうりゅうじ)
宗派 真言宗豊山派
本尊 波切不動明王
創建 弘仁6年(815年)
開基 弘法大師
住所 高知県土佐市宇佐町龍旧寺山
本尊真言 “のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた
かんまん”

納経帳

御本尊は、波切不動明王です。

六角堂

大師堂

大師堂
大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得
して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。
大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍
寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。《四国霊場会HPより》

大師堂


石段左側には、恵果和尚のお墓や恵果堂があります。

行場となっていたそうで、滝も流れています。

三重塔

三界万霊

青龍寺は、アジサイの花が満開です。
この花は、オタフクタジサイ(渦アジサイ)です。

本日もお立ち寄り有難うございました。(礼)
次回は、第37番札所 岩本寺でございます。