京都左京区の神護寺に行ってきました。
バス停から一旦、清滝川まで降り、更に380段ともいわれる石段を登った。
高い木々や青もみじの中の参道ではあるが、梅雨明けのこの日の気温は、優に30℃を越えて
いる。
とうとう、途中で根を挙げて、くたばってしまった。そこは山門まで2/3のところで硯石亭という
休憩処があった。“ヤレヤレ” と思って緋毛氈の上にあがり、宇治金時を一気にかき込んだ。
やっと人心地がついて、前をみると、この花が黄色く、たおやかに咲いていました。
《2013.7.10 周南市 東郭》
【ビヨウヤナギ】 キントラノオ目 オトギリソウ科 半落葉低木


中国では金糸桃と呼ばれている。ビヨウヤナギに未央柳を当てるのは日本の通称名。由来は、白居易の「長恨歌」に
太液の芙蓉未央の柳、此に対ひて如何にしてか涙垂れざらむ
と、玄宗皇帝が楊貴妃と過ごした地を訪れて、太液の池の蓮花を楊貴妃の顔に、未央宮殿の柳を楊貴妃の眉に喩えて 未央柳の情景を詠んだ一節があり、美しい花と柳に似た葉を持つ木を、この故事になぞらえて未央柳と呼ぶようになったといわれている。《Wikipediaより》
行宫见月伤心色,夜雨闻铃肠断声。天旋地转回龙驭,到此踌躇不能去。
马嵬坡下泥土中,不见玉颜空死处。君臣相顾尽沾衣,东望都门信马归。
归来池苑皆依旧,太液芙蓉未央柳。芙蓉如面柳如眉,对此如何不泪垂。
春风桃李花开日,秋雨梧桐叶落时。西宫南内多秋草,落叶满阶红不扫。
马嵬坡下泥土中,不见玉颜空死处。君臣相顾尽沾衣,东望都门信马归。
归来池苑皆依旧,太液芙蓉未央柳。芙蓉如面柳如眉,对此如何不泪垂。
春风桃李花开日,秋雨梧桐叶落时。西宫南内多秋草,落叶满阶红不扫。
行宮に月をみれば、傷心の色、夜雨に鈴を聞けば断腸の聲。
天旋り地転じて龍馭(りゅうぎょ)を回らし、此処に到りて躊躇して去くことあたわず。
馬嵬坡(ばかいは)の下、泥土の中、玉願を見ず空しく死せり処。
君臣相顧みて、尽く衣を霑(ぬ)らす、東のかた都門を望みて馬に信(まか)せて 帰る。
帰(きた)れば池苑皆旧に依る、太液の芙蓉未央の柳。
芙蓉は面の如く柳は眉の如し、此に対して如何ぞ涙垂れざらん。
春風桃李花開くの日、秋雨梧桐葉落つるの時、西宮南苑秋草多く、宮葉階に満ちて紅掃(はら)はず。
芙蓉は面の如く柳は眉の如し、此に対して如何ぞ涙垂れざらん。
春風桃李花開くの日、秋雨梧桐葉落つるの時、西宮南苑秋草多く、宮葉階に満ちて紅掃(はら)はず。
白居易の長恨歌のなかで、玄宗皇帝が安史の乱で落ち延びる時、傾国の美女楊貴妃を殺すはめに
なってしまう。やがて乱も鎮まり都へ帰って、楊貴妃を偲ぶ「天に在って願わくは比翼の鳥となり、
地にあって願わくは連理の枝とならん」の最終句で有名ですが、未央柳は、楊貴妃の眉の如しと
詠んでいます。
