前日の童学寺参拝の後は、徳島市内の眉山近くのホテルに一泊。今日は3月25日、早朝出発です。
勝浦郡上勝町の慈眼寺は徳島市内から国道438号線が便利、するとこの河川は園瀬川なんでしょう。
四国は、高い山が多く中央部に山脈があって、河川も豊富であります。
吉野川や四万十川など、川と共に生きる人たちの紹介も幾度も見ています。
日本の原風景とも云える山と川と里の風景が有ります。
空海が修行したのは、そんな山岳地帯での話が多いですが、今回は、穴禅定というところの足跡を
体験しました。(筆者は、聞いた話を伝えます)
《周南市 東郭》


穴禅定(あなぜんじょう)の寺・慈眼寺の文字が見えます。

随分高い所に慈眼寺はあるのですね。

寺伝によれば平安時代初期の延暦年間(782年 - 805年)四国を巡錫中の空海(弘法大師)が、
邪気の漂う不思議な鍾乳洞を発見した。
洞窟の入口で数日間、加持祈祷を行ったところ悪龍が洞窟より出て空海を襲った。
空海は法力で悪龍を洞窟の壁に封じ込めた。
また、十一面観音を刻んで洞窟の前に堂宇を建立し安置した。これが慈眼寺の開創と伝えられている。
《Wikipediaより》

大師堂

大師堂
月頂山 宝珠院 慈眼寺(げっちょうざん ほうじゅいん じがんじ)
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面観世音菩薩
創建(伝) 延暦年間
開基(伝) 空海
住所 徳島県勝浦郡上勝町
真言 “おん まかきゃろにか そわか”

大師堂で、穴禅定に行く支度をします。
手荷物を預けたり、穴を通る服装(カッパや防水ズボン)に着替えたりするようです。
上衣は、貸してくれます。
穴禅定とは、鍾乳洞の狭い狭い洞窟を100mローソク一本の灯りで通り抜けるのだそうです。

鐘楼


不動堂

地蔵様

この坂の方向に穴禅定があります。

十一面観音菩薩像と弘法大師像

お地蔵さん

禅定(ぜんじょう、梵: dhyaana、巴: jhaana、禅那(ぜんな))は、心を統一して瞑想し、真理を観察する
こと。またそれによって心身ともに動揺することがなくなった、安定した状態を指す。坐禅や止観の
止行であるサマタ瞑想で禅定を得ようとする。
仏教においては、涅槃に至るために禅定に勤しむ教派が多く、禅定を得る止行に対して、観行も重視
される。
サンスクリット語の dhyaana の音写である「禅」と、その意訳した「定」の複合語で、三昧と同義語で
ある。また、禅定によって心を乱されない力を定力または禅定力と呼ぶ。《Wikipediaより》

山桜(3月25日)

孝慈之石門と観音像です、ここから歩いて山の上に行きます。
山の上に、本堂があります。(カメラは預けて行くことになっていますので写真は有りません)
本堂に御参りして、穴禅定を通る注意事項などの説明を受けて、いよいよ鍾乳洞窟へ入ります。
家人の話し
“おとうさんは、入れないわね!?”
“なんでや
”

“だって、肥っているし、足腰悪いし、途中、這って行く所もあるし、蟹の横ばいもあるし~”
“そんなに、狭いんか?”
“通れない人もいるのよ、だから最初通り抜けのテストする柱のゲートがあるんよ”
その通過テストの幅は30~40cmくらいかなのでしょうか?おまけにローソク一本で
匍匐前進もありということです。真っ暗な中、頭をぶつける人もいるので、「ここは頭きをつけて!」
などの申し送りを順次おこなうそうです。
“それで、お前そのゲート、おなか引っ込めて通ったんじゃろう?”
“ちゃんと、普通に通れたわよ!”
・・・家人は、自分のお腹を引っ込めて答えました。・・・

大師堂
最後に大師堂に戻って来て参拝します。