中国山東省淄博市の臨淄中国古車博物館(殉馬坑)を紹介しています。
殉馬の遺跡が発見されたのが1990年で馬の化石36頭と古代の車が展示されていましたが、1995年
リニューアルして、中国古代の車(復元)や絵画・磁器など馬文化を併せて紹介する博物館になりました。
本日は第9回目ですが、華やかな古車文化をご覧ください。
周南市 東郭


戴帷帽騎馬白釉加彩女俑
唐(公元618—公元907)
陜西礼泉郑仁秦墓出土

露髻骑马三彩女俑
唐(公元618—公元907)
河南洛阳安菩墓出土

唐三彩の馬に乗る貴婦人ですが、その表現力には驚かされます。

唐代男子骑马图

搅胎骑马俑 三彩貼金铠马俑 三彩貼金铠马俑
唐(公元618—公元907)
陕西乾县懿德太子墓出土



遼代の駱駝車
契丹族の習慣使用の駱駝車、遼建国(907年)后、北方で盛んに使われていた。
駝車は高大で車箱の前の部分は平屋根で後ろの部分は庑殿顶(寄せ棟造り)です。
前部に僅かにカーテンを張り、故にこれを偏幰といいます。



轒辒车は孫子の兵法に記載されている城攻め車です。
車の覆いは牛皮で、中に10人乗りこみ城壁に下まで行って壁を壊したり、
トンネルを掘ったりしたといいます。


明輅(みんろ) 明清両朝の皇帝は出向く時は駕籠に乗るのが主であったが、
旅行のときは輅に乗ったそうです。実物はすでに無くなりました。
これは、象の明輅ですが復原模型ですが1/2ですので、原形は高さ6米、
長さ8米あったそうです。

皆さんが説明を受けているのは、塞門刀車といって前面に24の刃がつき出ています。
宋代に作られたもので、おもに城門に置いて、敵の怯んだのを矢や石で打倒したといいます。
きょうもお立ち寄り有難うございました。
次回からは、殉馬の化石のコーナーです。