最近やたら焼きたてのおいしいパンを色々をたくさん食べたくて、毎日のようにお取り寄せできないかネットで探す日々が続く。
なかなか思うようなものがみつからず、やっぱり一番は自分で買いに行くのがいいよなぁと思っていた。
今朝は相方が四時過ぎには出勤していき、こんな日は毎朝適当な時間に適当に食パンを焼いて卵を焼いて朝食をすます。
今朝は焼き立てパンを食べたい気持ちが爆発。
「そういえばあのパン屋さん前言ったとき朝7時開店だったな?」
と思って、7時半過ぎに車で数分のパン屋さんへ。
んんんん????
なんと!土日以外は9時開店だった
しかたないので、駐車場に車を止め、近場でほかのパン屋さんを検索。
一件、すでに「開店中」となっているお店を発見。
以前からちょっと行ってみたいと思っていたお店。
昔母の実家があったところに行く途中だ。
車を走らせたはいいけれど、昔のせまい住宅地の中、バス通りでもあるので路駐はもちろんできないし、店の前に駐車場の張り紙があったけれど、よくわからない。それを車の中からみてる間にも前から後ろから車が来る。
あきらめた_| ̄|○
ま、せっかくここまできたのだからと昔懐かしい祖父が住んでいた家が「あったところ」を通って(更地で重機が入り工事してた)又別のころへ向かう。
もう一軒お目当てだったところも結局はまだ空いていなく。。。。
すでに八時半。いつも朝食が早い自分はもうおなかがすいて泣きそう~
結局家の近くのいつものスーパーで今夜の食材とともにパンやオニギリ勝って帰りましたとさ。すでに9時過ぎてた
いつもならとっくに朝食も終え、8時から9時には仕事を開始するけど、今日は全然無理。
お腹を滿たして仕事始めようとしたけれど、どうにもこうにも進めない。原稿見ても集中して見られないからどの行まで打ったかすぐ見逃すし、ミスタッチも連発。
しかもこのところパソコンの調子最悪。
字を打っている最中にもかってにカーソルが飛び、飛ぶだけじゃなく勝手な場所を選択してるから原稿見て字を打っててふと頭を上げると続きじゃなくて全然違うところに字が入ってる!
嫌な予感してるし気を付けてるからすぐに戻れるけど、頻繁に起こるともう仕事に集中もできない!
手を置いてだまって画面みてるとやっぱり勝手にべつなところにカーソルが飛んでたりする。
このアメブロ書いてる今も急に別タブが開いたりする。
ノートパソコンじゃないのでまちがって手がパッドに当たってカーソルを動かすなんてことはあり得ないし、ジェスチャーコントロールも無効にしてるし、一応マウスの電池も入れ替えたし・・・・
今このパソコンをリカバリしたりなんかする時間なんてとてもないし、どうしたらいいか本当にめっちゃ迷い中。
そんな中、母の言動もますます怪しくなってきて、わかっちゃいるけれどイライラも半端なくなってきて、情緒も不安定。
夜寝る前に薬を飲むこともまた増えてきたけど、今日は仕事を始めようとしていた時からどうにもこうにも胸騒ぎ的なざわざわ感がぬぐえず朝から薬飲んじゃった。
いろいろ思うようにいかない毎日......
父が亡くなって四年と三か月が過ぎた。
父が亡くなった時から自分と相方は一人残された母のために実家に「泊まって」いる。
そう。
「泊まって」
いるのだ。
あの十年前の震災の日からまるで時空がねじ曲がってしまったかのように自分たちの生活は変わった。
あの海辺の被災地の方たちからしたら全然何も変わってないに等しい。内陸部。とくに自分が住む「区」は被害はずっと少なかったと思う。
でも、本当にいろいろ変わってしまった。
〔たくさん壊れた食器。まあ棚の中がぎゅうぎゅうだったからこの際なるべく増やさないでいこう(「捨て」の第一歩かな。。。)〕
当時色々落ちついてそのままそこでの生活が続けられると思っていた。でも、それは違った。
同じ大家さんが持っていたアパートの一つがあの地震でダメになり、そこに住んでいた人が自分たちが住んでいたアパートの自分たちの部屋の上の階に住み始めた。
新聞配達をして生計を立てていたその男性は心臓があまり良くなかったらしい。しかも一人娘が家を出て行ったらしい。
暖かく風が気持ちいいある日、部屋の窓という窓を開け空気を入れ替えていたら、突風が吹き、一部屋のドアが「バンッ!!」という大きな音ともに閉まった。「あ、上の人に響いたな。わるいことしちゃった」と思ったが、ちょうどその直後その人がうちの前に置いていた自転車で出かける音がしたので、顔を出して
「すみません!さっきは、風で戸が閉まっちゃったものですから」
と挨拶をした。
その時から悪夢が始まった。
それまで回覧板は默ってただポストに突っ込んでいく人だったのに、わざわざチャイムを鳴らして持ってくるようになった。そして
「わたし、心臓が悪いんで大きな振動とかだめなんです」
と言われた。
「すみませんでした。風でしまっちゃったものですから」
そういって改めて謝罪した。
ところが、それからたびたびポストに変なメモが投函されるようになった。アルミをバンバンたたく音が迷惑だとか、わざとらしく二本線でけしたようにはしてるものの「夜の声(何をいたしてる声)が云々。。。」と。
自分は精神的に追い詰められて過呼吸を起こしたり笑えなくなったりもちろん食べることもままならなくなった。
お隣のひとや道路夾んで親しくさせていただいている方々にもそのメモを見せて自分がみんなに迷惑をかけているかどうか聞いてみた。
みなさん
「そんなことしてないじゃない。大丈夫よ!」
と言ってくださった。
だいたいに於いて年齢的にも「夜にいたす声」なんてあるわけないのだ。アルミ叩く音なんてどこでどうやって出すのか!?それこそお隣は薄い壁一枚でへたしたら話し声も聞こえそうなところだけどそのお隣さんが
「なにもきこえないよ。」
と、ご夫婦でおっしゃってくださったのだ。
当然大家さんに相談。
大家さんも色々調べてくださった。
その上に来た住人はちょっと癖のある人らしいが普段はおとなしい人らしい。
ただ、その時のことを聞きに行っても大家さんから見ると嘘をついているように見えたという。
しかし
だ、結局のところアパートを出されたのは自分たちだった。
法務局にも相談に行った。相談に出た相手がこれまたこちらにしてみると人を馬鹿にしている人だった
「自分もこの人と同じ病気を持っているからねぇ。大きい音とかびっくりしちゃうんだよねえ。。。。」
って。
だからなんだ!ぜんぜん相手にしてくれなかったのだ。
大家さんやご近所の方たちがいろいろ考えてくださったが犯罪までいってないし大家さんにしてみると「家賃は払ってもらってるしほかの人たちが何かをされてるわけじゃない、給料はおそらくうちのほうがまだいい、だからあなたたちがここを出た方がいい、」ということらしい。敷金は全部返すから、と結局のところこっちが追い出された。
〔古い楽器を手放した。捨てられる食器は捨てた〕
その頃すでに体力的に弱ってきていた母はかろうじて当時アパートまで來て大家さんに会って話もしてくれたりしたが、やはり相当參ったのだろう。自分たちの引っ越しが終わって間もなく頭から目にかけて「帯状疱疹」を発症して入院した。
どんどん生活が変わっていった。
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