「捨てる」生活の始まり | Hajime~

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ほとんど放置ですが…勘弁してください。

 

父が亡くなって四年と三か月が過ぎた。

父が亡くなった時から自分と相方は一人残された母のために実家に「泊まって」いる。

そう。

「泊まって」

いるのだ。

 

あの十年前の震災の日からまるで時空がねじ曲がってしまったかのように自分たちの生活は変わった。

あの海辺の被災地の方たちからしたら全然何も変わってないに等しい。内陸部。とくに自分が住む「区」は被害はずっと少なかったと思う。

でも、本当にいろいろ変わってしまった。

 

〔たくさん壊れた食器。まあ棚の中がぎゅうぎゅうだったからこの際なるべく増やさないでいこう(「捨て」の第一歩かな。。。)〕

 

当時色々落ちついてそのままそこでの生活が続けられると思っていた。でも、それは違った。

同じ大家さんが持っていたアパートの一つがあの地震でダメになり、そこに住んでいた人が自分たちが住んでいたアパートの自分たちの部屋の上の階に住み始めた。

新聞配達をして生計を立てていたその男性は心臓があまり良くなかったらしい。しかも一人娘が家を出て行ったらしい。

 

暖かく風が気持ちいいある日、部屋の窓という窓を開け空気を入れ替えていたら、突風が吹き、一部屋のドアが「バンッ!!」という大きな音ともに閉まった。「あ、上の人に響いたな。わるいことしちゃった」と思ったが、ちょうどその直後その人がうちの前に置いていた自転車で出かける音がしたので、顔を出して

「すみません!さっきは、風で戸が閉まっちゃったものですから」

と挨拶をした。

 

その時から悪夢が始まった。

 

それまで回覧板は默ってただポストに突っ込んでいく人だったのに、わざわざチャイムを鳴らして持ってくるようになった。そして

「わたし、心臓が悪いんで大きな振動とかだめなんです」

と言われた。

「すみませんでした。風でしまっちゃったものですから」

そういって改めて謝罪した。

ところが、それからたびたびポストに変なメモが投函されるようになった。アルミをバンバンたたく音が迷惑だとか、わざとらしく二本線でけしたようにはしてるものの「夜の声(何をいたしてる声)が云々。。。」と。

自分は精神的に追い詰められて過呼吸を起こしたり笑えなくなったりもちろん食べることもままならなくなった。

お隣のひとや道路夾んで親しくさせていただいている方々にもそのメモを見せて自分がみんなに迷惑をかけているかどうか聞いてみた。

みなさん

「そんなことしてないじゃない。大丈夫よ!」

と言ってくださった。

だいたいに於いて年齢的にも「夜にいたす声」なんてあるわけないのだ。アルミ叩く音なんてどこでどうやって出すのか!?それこそお隣は薄い壁一枚でへたしたら話し声も聞こえそうなところだけどそのお隣さんが

「なにもきこえないよ。」

と、ご夫婦でおっしゃってくださったのだ。

当然大家さんに相談。

大家さんも色々調べてくださった。

その上に来た住人はちょっと癖のある人らしいが普段はおとなしい人らしい。

ただ、その時のことを聞きに行っても大家さんから見ると嘘をついているように見えたという。

 

しかし

だ、結局のところアパートを出されたのは自分たちだった。

法務局にも相談に行った。相談に出た相手がこれまたこちらにしてみると人を馬鹿にしている人だった

「自分もこの人と同じ病気を持っているからねぇ。大きい音とかびっくりしちゃうんだよねえ。。。。」

って。

だからなんだ!ぜんぜん相手にしてくれなかったのだ。

大家さんやご近所の方たちがいろいろ考えてくださったが犯罪までいってないし大家さんにしてみると「家賃は払ってもらってるしほかの人たちが何かをされてるわけじゃない、給料はおそらくうちのほうがまだいい、だからあなたたちがここを出た方がいい、」ということらしい。敷金は全部返すから、と結局のところこっちが追い出された。

 

〔古い楽器を手放した。捨てられる食器は捨てた〕

 

その頃すでに体力的に弱ってきていた母はかろうじて当時アパートまで來て大家さんに会って話もしてくれたりしたが、やはり相当參ったのだろう。自分たちの引っ越しが終わって間もなく頭から目にかけて「帯状疱疹」を発症して入院した。

どんどん生活が変わっていった。

 

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