資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目にある、熱田神宮(あつたじんぐう)です。

 熱田神宮の主祭神は、「熱田大神(あつたのおおかみ)」です。 この神様は、太陽の女神である天照大神(あまてらすおおかみ)に関連しており、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代とされています。

 絵馬は、熱田神宮で授与されてきた干支(えと)を描いた絵馬の数々です。











 干支は、古代中国で生まれた暦の仕組みで、「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」を組み合わせたものです。 十干は10の要素(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)から成り、十二支は12の動物(子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥)を指します。 干支は年、月、日、時間、方位、運勢などを導き出すために使われ、特に年賀状や占いでよく見られています。


 【十二支が動物に例えられて順番がついている由来とされる物語】

 昔々、神様が動物たちに向けて「1月1日の朝に、神様のもとへ早くたどり着いた1番~12番目までの者を、一年交代でその年の大将にする」という旨のお触れを出しました。
 それを聞いた動物たちは皆、「我こそが1番になろう」と張り切ります。しかしネコは話を聞きそびれ、ネズミに聞いたところ「1月2日の朝」と言われます。

 さてウシは足が遅いので、誰よりも早く出発し、歩みを進めます。神様の家に着いたところ他に誰もおらず、自分が1番だと喜んでいたところ、ウシの背中にいたネズミがぴょんっと飛び出して1位を横取りしたため、ウシは2位となってしまいました。

 その後、トラ、ウサギ、タツ、ヘビ、ウマ、ヒツジと続きます。サルとイヌは最初は仲良く一緒に向かっていたのですが、途中でけんかになってしまいます。そこへトリが仲裁に入り、サル、トリ、イヌの順でゴールイン。そしてイノシシが12位でゴールし、十二支が決まったということです。

 なおネコがやって来たときには当然順番は決まった後だったので、それ以来ネコはネズミを恨み、追い回すようになったそうです。

おしまい

 皆さんは、大入道(おにゅうどう) をご存じでしょうか。


 東海道四日市宿資料館のある四日市市を訪問されたことのある方なら、見聞きされたかもしれませんね。そんな大入道にゆかりのあるのが「桶之町」です。



 毎年8月初旬に開催される大四日市まつりには、郷土の文化財と伝統芸能を披露するプログラム (今年は8月3日) がありますが、その中でも最も人気のあるのが大入道です。からくり人形としては日本一の大きさと言われています。


 まつりの終盤、西に太陽が傾く頃、大入道の演技が近づくと、どこからともなく人が集まってきます。大勢の見物客の前で、首が伸びたり眉毛や目が動いたりするシュールな姿は一見の価値ありですが、小さなお子さんは泣いてしまうかもしれませんね。



 伊勢湾沿いの浜辺を開拓して造成された地域の一部が、江戸時代の文化文政年間 ( 1804~30年 ) の頃に桶之町と呼ばれるようになりました。現在の中納屋町で国道23号をまたいで東西に位置していました。

 江戸時代の後期、町名の「桶」が「大化 (おけ)」に転じ、諏訪神社の祭礼でオ(バ)ケや妖怪の仮装行列を奉納したのが大入道の始まりとも言われています。 大入道については、いくつかの民話が伝わり、最近は四日市市のマスコットキャラクター「こにゅうどうくん」も登場して、市民に親しまれています。さらには、旧東海道の商店街では「中入道」に会えますよ 。どんな姿なのかは、見てのお楽しみ。  (Y) 

昭和33年(「桶之町」があった頃)の諏訪神社例大祭
出典 : 『目で見る四日市の100年』 四日市商工会議所




  昭和の中頃まで、旧東海道四日市宿や浜往還から少し離れた場所に位置したのが「袋町」。現在の国道23号より東側の四日市市中納屋町に当たります。江戸時代の天保年間(1830~44)の絵図に登場し、明治から昭和にかけて東西に分かれた時期もありました。


 この町は地元の諏訪神社の祭礼である四日市祭の「鯨船」と非常に深い関係がありました。古くは江戸時代後半の安永年間(1772~1781)の記録に鯨船の原型とみられる「鯨つき」が記されています。
 現在、四日市市にある鳥出神社の鯨船が天明元(1781) 年から始まり、記録的には旧四日市が少し早いので、旧四日市から伝わっていったのではないかとも考えられます。

 例年よりかなり早く梅雨明けした東海地方。うだるような暑さとセミの喧騒に包まれる季節がやってきました。そして、四日市市民の夏のお楽しみ「大四日市まつり」も間近です。

 かつて、諏訪神社に奉納される鯨船行事は、明神丸(南納屋町)、正一丸(東袋町)、勢州組(北納屋町)がありましたが、先の戦争で焼失しました。その後、紆余曲折を経て、明神丸と勢州組が復興しました。豪華に刺繍を施した船がまるで海上のように躍動し、クライマックスで鯨を仕留める演技は、見物の人々の目を釘付けにします。

勢州組の勇姿
勢州組の勇姿
勢州組の勇姿

 今年は、まつり2日目の8月3日(日)に鯨船勢州組の演技がご覧いただけます。勇壮な鯨船の見物の前に、祭り会場から徒歩圏内にある東海道四日市宿資料館にもお立ち寄りください。お待ちしています。 (Y)


 少年時代を四日市の富田で暮らした立原位貫氏の版画で、四日市の鯨船行事をモチーフにした「四日市鯨船祭り」の部分です。勢州組ではありません。

 今年の大四日市まつりのポスター

 資料館の1階には毎月、語り部ボランティア 山田さん手書きの「季節の俳画」をご提供いただいています。

 7月のお題は、「泳ぎ・プール」と「セミ(蝉)」です。

 

 


泳ぎし腕 水平に伸べ 光走り /香西照雄


碧きもの 空とプールと 少年と /古都鈴


遠泳や 舟に上がれば 風の音 /長谷川櫂


プールには 陰無し天の 真下なる /山口誓子


教室に プールの匂ふ 五時間目 /円堂実花


昼の光 プールの青を 照りかへす /菊川和奏






カレー粉と 蝉の匂いの 夏休み /伊丹公子


蝉なくや 草の中なる 力石 /尾崎放哉


初蝉は どの木ともなし 聞ばかり/加賀千代女


初蝉や 松の雫も 絶えし時 /加賀千代女


人の気も 動かぬ昼や 蝉の声 /哥川


蝉啼て くるしや蓑の むらかはき /加舎白雄

 6月1日(日)は東海道四日市宿資料館の開館日で、オープンしてから丸6年を迎えました。

 あれは「令和」に改元されて間もない6月の週末、日差しのまぶしい日だったと記憶しています。
 来賓をお招きしたり、四日市祭の練りの中から東海道の往来を表現した「大名行列」の演技なども行われました。
 幸先良くスタートしたのも束の間、1年もたたないうちにコロナ禍が世界をパニックに陥れました。
 約1年半閉館しましたが、今では、あれは遠い昔の出来事だったのではと思うくらい、平常時に戻った感覚があります。

 ふり返ればこの6年間で新しい展示物が増え、お世辞にも広いとは言えない館内を飾っております。江戸時代の旅の道具など、ふつうなら陳列棚の向こうに並んでいる品も触れたり、写真を撮れたりできる事に驚かれるお客さまも少なくありません。
 まさに「ふれられる資料館」といったところでしょうか。



最近の館内

資料館全景(6月15日撮影)

 数か月前、当館がテレビで紹介されました。今でも「テレビで見たよ」と来館される方がいらっしゃいます。ありがたい事です。

 城下町でもなければ古い町並みも残っていない四日市に、遠方からお越しいただくお客さまには感謝しかありません。これからも、よろしくお願いいたします。 (Y)



6月30日夏越しの祓
茅の輪くぐり
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