資料館の2階に、伊勢神宮式年遷宮にまつわる展示品が新たにお目見えしました。








 神宮(伊勢神宮)の「式年遷宮」は、二十年に一度、社殿を新しく造り替え、ご神体を遷すお祭りです。

 伊勢神宮の式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇四年(690年)に第1回が行われて以来、約13,000年にわたり20年ごとに繰り返されています。

 次回、第63回式年遷宮は、令和十五年(2033年)の秋に予定されています。

 宮崎県日南市梅ケ浜ある、祇園神社(ぎおんじんじゃ)です。

 

 宮崎市内から国道220号を南下すると、サーフポイントとして有名な梅ヶ浜が広がります。そこからほど近い洞窟の中に本殿がある珍しい神社です。





 本殿入口左右の神様は龍神(八岐大蛇/ヤマタノオロチ)様と水神(水波女命/ミズハノメノミコト)様。中にある龍の形をした岩も神秘的で、疾病除けや厄難除けの守護神です。航海安全・商売繁盛・五穀農穣・縁結びの神様として地域の人々から信仰されています。

 

 ひんやりとした空気に包まれ清涼感たっぷりの洞窟内。中から道路側を見上げると、空を背景に神々しく映える赤い鳥居が印象的です。

 梅ヶ浜では「ライオン岩」と呼ばれるビュースポットもお見逃しなく!透き通る青い海と砂浜が織り成す景観が美しく、多くの人に親しまれています。

 


 絵馬は、シンプルな板ですが、絵馬に書きこむ際は、

 1.縦書きと横書き、どちらでも良いが、書きやすい方を選ぶ。

 2.絵馬の表側に絵を描き、裏側に願い事を書く。

 3.願い事は具体的に表現し、決意を持って叶える努力をすること。

が良いとされています。

 宮崎県宮崎市大字生目にある、生目神社(いきめじんじゃ)(旧:生目八幡宮)です。







 古くから「日向の眼の神様」として眼病にご利益があるとされ、信仰されてきました。

 過去に兵火で資料を焼失してしまい、詳細は不明ですが、11世紀中頃にはすでにあったと言われています。

 

 御祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)と藤原景清公を主祭神に、彦火瓊々杵尊、彦火火出見尊、鵜茅葺不合尊の3柱を相殿にお祀りされており、


 一説にはこの藤原景清公の伝説が生目神社という名前の起源になったともいわれています。

 

 絵馬は、「かげ清く 照らす生目の水鏡 末の世までも 曇りざりけり」描かれた開運開眼絵馬です。

 

 「景清物(かげきよもの) 」

 壇ノ浦の戦いで平家は源氏との戦いに敗れ、源氏に捕えられた平景清でしたが、勇猛な武将であったため、敵の総大将だった源頼朝にその武勇を惜しまれ、死罪ではなく日向に流されます。僧侶となって日向で暮らしていた景清でしたが「源氏の繁栄する世を見たくない」と言い、自分の両目をえぐり取ってしまいます。

 その後、盲目となった父・景清を訪ねて娘の人丸がやってきます。勝者から敗者に転じた人生の悲哀、また娘との出会いと別れの情景はドラマティックであり、能や歌舞伎をはじめとした古典芸能では、景清が登場する作品を「景清物」と呼ばれているようです。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 宮崎県宮崎市宮田町にある、宮崎八幡宮(みやざきはちまんぐう)です。







 900年ほど前、各地の開拓にあたっていた国司・海宿祢為隆(うみのすくねためたか)。この地を開拓する際は、以前より祀られていた橘大神と一緒に宇佐八幡宮大神を勧請したのが宮崎八幡宮の始まりとされています。

 

 今日、全国に4万の八幡宮の総本宮は大分県の宇佐神宮、八幡大神はその大神です。

 

 また、八幡宮は源氏の氏神でもあることから、武人の崇敬も厚かったと伝わり、安産祈願や宮詣など諸儀礼ともおおく結びついています。

 

 絵馬は、本殿を描いた祈願絵馬です。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 宮崎県宮崎市神宮2丁目にある、宮崎神宮の摂社「皇宮神社(こうぐうじんじゃ)」です。

 




 皇宮神社は、宮崎神宮の元宮で、御祭神の神武天皇が15歳で生まれ育った狭野神社(宮崎県高原町)から移られ、東征される45歳まで住まわれ政を取った場所です。

 

 宮崎神宮から北西方向に600mほどの小高い丘の上に鎮座、別名皇宮屋(こぐや)とも呼ばれている皇居跡です。

 



 創建は不明ですが、旧社殿は1847年(弘化4年)に再建され、1877年(明治10年)に宮崎神宮の摂社に列せられました。1940年(昭和15年)の神武天皇ご即位2600年の記念事業として「皇軍発祥之地」の石碑が建てられました。

 


 絵馬は、毎年10月に行われる宮崎神宮の例大祭「御神幸祭」の絵馬です。

 宮崎神宮の御祭神である『神武天皇』のご偉業を称え、五穀豊穣を祝う『御神幸祭』。明治9年(1876年)から約140年もの長い歳月を経て、『御神幸祭』は誇りと親しみを込めて『神武さま』と呼ばれるようになりました。宮崎の秋のイベントとして多くの県民から愛されている歴史あるお祭りです。