浮世の暁 -6ページ目

浮世の暁

リアクションモードで生きる

今後もエゴが何らかの欲求を持つことはあると思います。


でもそのときに、もう1人の自分が、エゴに対して


「それじゃあうまくいかないよね」


と諭したら、


エゴも 「そうだった。わかりました」


とすんなり納得して引き下がる、


そんな感じです。




エゴとうまく付き合えるようになった。


エゴを客観視できるようになってきた。


そんな感じです。



それまではエゴ自身がエゴを見ていたようなものだから、


客観視しているつもりで、実はエゴと同一化していたのかなって思います。

気付いたら以前とは違うところに来ているような感じ。


以前は当たり前のように抱え込んでいた欲求の心(エゴ)がずいぶんと小さくなった気がします。


どうでもいい、どっちでもOK、というか。



前々回の記事 のできごとが直接的なきっかけのようです。


そこからジワジワときている。



「三歩進んで二歩下がる」 が断続的に続いているような。


CO2濃度のグラフがギザギザしながら上昇しているような。




エゴが、「もう無理、いいや。あきらめた!」 ってなってしまうような状況になったのが大きいのかも。


そう考えると、不快とか不安とかというのは必要な通過儀礼なのかもしれません。。




ほんと、エゴが抱いた欲求が叶ったことはほとんどない。


それでもエゴは欲求をしつづけた。


そしていつもの繰り返し。スパイラル。



叶ったことがあったとしても、「これは無理だ」 とあきらめた後に実現したことばかり。



私が好きな植木等さんのスーダラ節に 「わかっちゃいるけどやめられない」 というのがありますが、


それが終わった、やめられるようになった状態(笑)。







もうブックオフに売ってしまいましたが、ヒックス夫妻の引き寄せの法則で


「オールを手放して、川の流れに逆らわず、ゆだねよう」


というのも今なら納得できます。




さらに、これは本屋で立ち読みした程度ですが、


「降参のススメ」 という本の 「降参」 とはそういうことか、ってのもわかる。

ある目的を達成するために何かをする、のであれば、


何かをしているときは、そのことだけに注意を集中しようと。



雪かきをする=雪をどかす、一定の場所に積み上げる、のが目的ならば、


・スコップを雪の下にすべりこませる


・スコップを持ちあげる


・移動する


・雪の山に雪を放る


という1つ1つの行為を意識してやってみました。




意識が今に注がれているからなのでしょう、


「まだこんなに雪があるよ…」

「あとどれぐらいかかるんだろう」

「もうやだ」


と思うことはなく。



すなわち、


先のこと (今ではないこと) に意識が向かない、


今やっていることではないこと に意識が向かない、


ので、体は疲れても、精神的な疲労はまったくないのは興味深いことでした。