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浮世の暁

リアクションモードで生きる

街でベージュのコートを見かける季節ではないですが…。


このブログの最初の記事を書いてから丸2年が過ぎました。


早いものです。。。




エゴとの同一化をやめる、客観的に観察する、そういうのを実践していますが、


他人と接する際には同一化してしまっている。後になって気付く。


そんなことがもうずっと続いています。




そういう観察モードのまま社会生活を送ることを続けたら


どうなっていくのか、楽しみであります。


とにかくまあやってみるしかないですね。


ですので、実社会から(物理的に)距離を置いて暮らして行く、というのは


今となっては生き方の選択肢からはなくなりました。





追)

最近どうも途中までブログを書いているうちに、「まあいいや」 となって

記事を削除することが多いのですが(苦笑 書いたらできるだけすぐ公開してしまおうと。。

リアクションモードというのは、エゴがしたいことをするということとは違うんだなあと。


ときには、エゴが面倒だと思うことでも、実行することがリアクションモードで生きることになる、


そんなケースもあるように思えてきます。




以前にくらべてエゴがじたばたするのを控えるようになり、


大枠の部分では流れに任せるように生活を送れるようになってきた昨今、


そのようなことを思うようになりました。




エゴの視点で「これをやりたい」「いやだなあ」と思うことと、


もっと上位の視点から「違和感がある」「やるべきだ(やる流れなんだな)」というのは別。


どちらにしても、エゴの言うことは観察する・自覚するにとどめておくのがよいと思います。



リアクションモードで生きるというのは、思っていたほど簡単なことではないんだなと思いました。


ようやっと、リアクションモードを一応実践できているかな、といえるレベルです。



まあ、こういうのは気楽に実践すればいいものだと思います。


それでも1年半前に比べると、違った感覚になっているのは確かです。

常に引き寄せている、引き寄せの法則は常に働いている、


という言葉をいろいろなところで目の当たりにしてきましたが、


そのようなことはほとんど意識しないし、何を言っているのかよくわからない、という感じでした。




ですが、ここ最近のできごとを通して、「ああ、こういうことか」 と思えてきました。




なにごとも、どんなものも、追いかけて、追い求めて、手に入れることはできない(多くの困難を伴う)。


受け取ることしかできない。


自分の意志で、外部のものを、どうこうすることはできない。



もたらされるものを受け取るだけ。


外部から奪い取ることはできないので、受け取るしかできない。



ということは、現在身の回りにあるものや、現在の自分の立場とか仕事とかあらゆるものは、


外部から奪い取ってきたものなどではなく、すべて与えられたもの、受け取ったものである。


つまり、引き寄せられてきたものである。




ということで、逆説的な意味で、常に引き寄せているといえるんだなあ、と思いました。



取りに行くように見える行動も、受け取りに出向いている、といった感じでしょうか。





「そういうことではないよ」 と言われてしまうかもしれませんが(笑)、


私はそういう捉え方で腑に落ちた次第です。





ある覚者と思われる人が、「引き寄せは方便にすぎない」 と書かれていたのを思い出します。




引き寄せって、リアトラの外的意図のことだと思います。


だとすると、意志の力で自由自在に扱うのは難しいですね。。。




引き寄せは常に起こっている。ただそれだけの話。


というふうにとらえています。