半夏生に稲作を思う | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

火縄銃を切り口として
日本人を考えるブログ
です。

        

 今日は,半夏生である。半夏生は,季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた特別な暦日の一つで,農家にとっては大事な節目の日だった。

 戦前まで田植えは、梅雨の季節に集中的に行われ「入梅を田植の開始の目安とし、半夏生(はんげしょう)の頃までに終わらせる」というのが江戸時代からの農民の常識だった。かつて田植えは,梅雨の風物詩だったのである。田植え時期が早まるようになったのは、昭和二十年代以降、冷害に強い保温折衷苗代の開発や品種改良が進んだことによる。 

 

 

 

  現在,北関東や東北地方では,田植え時期は江戸時代より一カ月以上繰り上がり五月中には田植えを終えてしまう。保温折衷苗代の開発により苗の早植えが可能となり,低温による生育障害を回避し出穂期を8月の高温期を合わせることができるようになった。これにより冷害による不作を防げるようになったのである。

  この保温折衷苗代は,冷害回避のために長野県の農民が昭和17年に開発した。これにより寒冷地の稲作は安定的な高収を上げるようになっていく。たった一人の勤農が,日本から冷害を無くし多くの日本人を幸せにしたのである。私達は,この精農を忘れてはならない。その男の名前は,荻原 豊次という。