夏によく食べる冷たい麺料理 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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夏によく食べる冷たい麺料理

  宮城県南の白石城は伊達政宗の名臣片倉景綱,重長親子の居城である。父の小十郎景綱は,伊達家中では「武の伊達成実」と並んで、「智の片倉景綱」と呼ばれた。なにしろ太閤秀吉に三春五万石で直臣になるよう乞われたほどの武将である。その息子の小十郎重長は,大坂夏の陣で伊達家の先陣を務め,大阪方の猛将後藤又兵衛の軍勢を撃破し,真田幸村の軍勢と激戦を演じ,真田の進撃を押し止め,鬼の小十郎と言われた男である。れた男である。

 

白石城本丸での片倉鉄砲隊による立ち放ち

写真提供 若旦那提供(インスタID) takenoko.no.yama

 

白石城本丸での片倉鉄砲隊による中放ち

写真提供 若旦那提供(インスタID) takenoko.no.yama

 

 

白石城本丸での片倉鉄砲隊によるもろおり放ち

写真提供 若旦那提供(インスタID) takenoko.no.yama

 

 

  白石城は、江戸幕府の一国一城制の例外とされ,10万石以上の大名の居城と比べても,なんら遜色がない。白石城が一国一城令の例外とされたのは,片倉小十郎親子が尊敬できる愛すべき人物と幕府首脳も評価したからであろう。

 

本丸内から見た白石城大手門と三階櫓

 

本丸下から見た白石城大手門と三階櫓

 

  その白石城下では,四百年ほど前に作り出された白石温麵が今も愛されている。領内の孝行息子が,旅の僧から油を一切使わない麺の製法を教わり,それを胃病の父に食べさせたところ,病が全快したのだという。白石温麵は,長さが9センチに切りそろえられ,油を用いないから胃にやさしく消化も良かったのだろう。 白石城主の片倉小十郎公は、その孝行話を称え、その麺を「温麺(うーめん)」と名付け白石の地場産品として奨励した。

釣鐘印のきちみ製麺所の白石温麺

麺の長さが9センチに切りそろえてある。この長さが絶妙で,

麺の早っ喰いには,持って来いだ。短いから服やテーブルを

            汚すともないから,上品である。

 

 江戸時代から七夕の日には,素麺を食べ互いに贈る習慣があった。白石城の境界を接する角田城では,素麺の代わりに白石城下名物の温麺を用いるのをしきたりとしていた。それほどうまかったからである。

 夏場は,この白石温麺を冷やしでやると体の熱を取ってくれるから,すっきりする。

 白石うーめん冷やしの大盛り     

 

短めの細麺だからいくらでも食べられる。冷やしだとショウガの香りが,なおさら爽やかに感じられる。麺のモチモチ感やスルッと走るような喉越しも応えられない。だからこそ,白石温麺は,四百年にわたり愛され続けてきたのであろう

 

長さが9cmだから,一箸で一口分。ドンドン口に放り込めるから大変便利である。

 

 

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