私設博物館『金山城伊達・相馬鉄砲館』は,昨年9月に宮城県丸森町で『日本の火縄銃フォーラムin丸森』を開催した。 このフォーラムには,海外の研究者も含め60人以上の方々が参集し予想以上の成功を収めることができた。また日本有数の火縄銃研究家である須川薫雄先生や日本前装銃射撃連盟の元会長の佐藤安弘先生を講師にお迎えして基調講演をしていただけたから,生涯学習の一助にもなっただろう。
『日本の火縄銃フォーラムin丸森』
基調講演を行う須川薫雄先生(写真左)
写真提供 若旦那提供(インスタID) takenoko.no.yama
このフォーラムに参加された火縄銃研究者のお一人から,私は下の写真の拍子木をいただいた。拍子木とは,二本の四角い棒を打ち合わせてカチカチと鳴らし、お祭りや歌舞伎,夜警や夜回りなどで拍子を取ったり注意喚起したりするのに使われる音具である。その拍子木の表側には「炮術備撃拍子木」と,裏側には「乙卯年秋日作 西井氏」,「西井氏倫」とそれぞれ墨書されていた。これを現代風に意訳すると,「 備え撃ち砲術用の拍子木 」,「 安政二年秋に作る。西井氏倫 」と理解してよかろう。「 備え撃ち砲術用の拍子木 」というからには,この拍子木は,砲台や城等に備え付けられた大砲の命令伝達に使用したものと考えられる。
拍子木の表 拍子木の裏
彦根城博物館が調査した井伊家の軍法によれば,合戦や行軍の折に、多くの兵に指示を伝える方法として、「法螺貝」,「陣鐘」,「陣太鼓」,「拍子木」といった「鳴り物」が用いられたという。このうち拍子木は,鐘や太鼓よりも音が小さいため小規模な戦でしか使われなかったらしい。
この拍子木が作られた安政二年の前年には,二度目のペリーの来航があり,世は海防問題で騒然とした時代だった。当時の指示伝達は早馬や伝令による口頭連絡が主であり,小規模戦闘での指示伝達は「拍子木」を使用するのが効果的だったのであろう。