大発見!伊勢守流砲術伝書 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

火縄銃を切り口として
日本人を考えるブログ
です。

        

公式ハッシュタグ 令和四年11月18日 骨董品ランキング1位 

  九州のキリシタン大名で佐伯藩初代藩主の毛利高政は,鉄砲名人だった。朝鮮の南原城の戦いでは,城門から出てくる敵兵を770mの距離から「焔魔王」の大鉄砲で狙い撃ちし一発も外すことがなかったと鶴藩略史は今に伝えている。また島津家文書は,加藤清正や浅野行長らが立て籠もっていた蔚山城の救援戦において,毛利高政は七町(約770メートル)の距離から「焔魔王」の筒で砲撃し,正確な射撃により敵陣を混乱に陥れて武功を立てたと記している。

 

真ん中が「焔魔王」の大鉄砲

上から順に,

        秋風の筒     全長201.0cm 口径1.8㎝    榎並屋勘左衛門 作

        焔魔王の筒   全長277.9cm  口径2.2㎝    芝 辻  清 衛 門  作

        四海波の筒   全長281,5cm  口径2.5㎝     榎並屋勘左衛門 作

 

 佐伯入国後に伊勢守を称した毛利高政公が創始したのが,世に毛利伊勢守流と呼ばれた砲術である。仙台藩二代藩主の伊達忠宗公は,部屋住みの23歳の頃に毛利高政公に入門し射撃の教えを受けているから,かなり評判の高かった砲術流派だったのは間違いない。

 毛利高政公自署の砲術伝書は,現在三点の存在が確認されている。一つは元和五年(1619年)に成立した初巻問積書,残りの二つは元和七年の伊達忠宗宛ての伝書及び松平美作守宛ての伝書である。
 本年になり私は,慶長17年(1612年)に成立した毛利高政公自署の伊勢守流砲術の伝書三巻を新たに発見した。この伝書は禽獣目付と題され,鉄砲で鳥獣を撃つ時の狙い所を教示するものである。この伝書は、豊後佐伯藩の藩士であったH家が所蔵していたもので,高政公の印は押されてはいない。おそらくは,禽獣目付目録を伝授する際に備えて,印の押されていない原本の写しが作られていたのだと私は推測している。この伝書が本物と確定できれば,毛利伊勢守流砲術の起源は,大坂の陣以前に遡るのは間違いない。なおこの砲術伝書は,宮城県丸森町にある『金山城伊達・相馬鉄砲館』で展示中である。

 

発見した伊勢守流の砲術伝書