全長174センチ   伊予松山城の7匁大狭間筒 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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  公式ハッシュタグ 令和四年9月7日 骨董品ランキング2位

   気持ちを切り替えた私は,鉄砲館の開館に向け,鉄砲の展示作業に全力を尽くしています。このように全てのことを水に流し,再スタートを切れたのも親身になって心配してくれた多くのブロ友さんの励ましと助言のおかげです。こんまいさんやブラスさん,お遊び日記さんなど古くからのブロ友さんには,大変御心配をおかけいたしました。今回も多くのブロ友に助けていただき感謝の気持ちで心がいっぱいです。本当にありがとうございました。

  昨日は,狭間筒と呼ばれているお城の銃眼(狭間)などに据えつけて使用した銃身の長い鉄砲の展示を中心に作業しました。狭間筒は銃身が長いため,射出した弾丸が火薬の爆発エネルギーを多く受け取れるのです。狭間筒は,長距離射撃を行うために作られ,有効射程距離は200メートルから300メートルあったと考えられています。

 

ケースの上の兜は,大きさ比較のために置いてみました。

 

 上の写真が昨日展示作業した狭間筒の一部です。上の段の鉄砲は,当館所蔵の鉄砲のうちでもっとも銃身の長い鉄砲です。全長は174.3cm 銃身長は151.6cmもあります。この鉄砲は,銃身の末端が古いタイプの火縄銃に見られる『鳶の尾』の形をしています。また,銃口が荒れて薄くなっていることからいることから,戦国時代に作られた鉄砲の可能性があります。幕末になり,火縄銃から管打ち銃に改造さていることから,信頼性の高いよく当たる鉄砲だったのかもしれません。

  この鉄砲は愛媛県松山市の旧家から譲り受けたもので,松山城備え付けの七匁筒と推定しています。代替わりしているうちに,この鉄砲の由緒や来歴が,歴史の闇の中に消えてしまったのは,大変残念なことですが,当館のメイン展示物の一つとして,大事にしていきたいと思います。