「江戸時代」はとても良い時代だった。 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 私は,昭和40年代後半に中学を卒業した。当時の中学校では「江戸時代」は暗い時代だったと教えられた。「士農工商」の身分制度により武士階級がいばり、民衆は搾取されろくな食べ物もなく,飢饉の時には大勢の人が餓死した。また長い間「鎖国」をしていたため,世界の文明から取り残され産業や科学技術は非常に遅れていた等々だ。

 しかしだ。当時の中学教育は間違っていた。「江戸時代」はとても良い時代だったのである。幕末の日本の人口は約3400万人であったらしい。戦国末の人口と比較すると幕末には約3倍以上も人口が増加していのるだ。幕末期,武士階級はほぼ100%読み書きができたし、庶民層でも男子の約50%が読み書きをできたという。江戸時代末には全国に約45000の寺子屋があり,児童教育が盛んだったからである。人口増加や児童教育に力を入れられるようになったのは,戦争のない平和な時代が長く続いたからである。もし「鎖国」をしなかったら日本国内にキリスト教が浸透して内戦状態になっていただろうし,欧米列強の植民地になっていたかもしれない。これらは徳川幕府の大きな功績である。

 

第一次世界大戦前のアジア・アフリカ植民地状況

アジア地域で欧米列強の植民地にならなかったのは,日本とタイだけである。

 

 「鎖国」により,海外から必要な物資が入ってこないのだから、国内生産でその全てを賄うしかない。このため生産技術や生産設備が発達した。何でも自分の手で作るしかないから,日本中に様々な工場や生産施設が作られたのである。明治になり日本が欧米の新技術を直ちに取り入れられたのは,270年に渡る徳川幕府の治世の中で「何でも自分の手で作る」という気構えと基礎技術が醸成されていたからである。

 今,私の手元に二丁の火縄銃がある。どちらの鉄砲も兵器というよりは,蒔絵や象嵌が施された美術品である。兵器を美術品にしてしまう時代,それが江戸時代なのである。

 

 

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