紀州(和歌山県)が本州最初の鉄砲伝来地だったということが,あまり知られていないのは残念なことある。種子島に伝来した2丁の鉄砲のうち1丁を,紀州根来寺の僧兵指揮官である津田算長が1543年に紀州に持ちこみ、その翌々年には刀鍛冶の芝辻清右衛門が紀州第1号の鉄砲を完成させたという。
堺と並ぶ鉄砲生産地となっていく紀州(和歌山県)では、根来衆や雑賀衆が多くの鉄砲を有するようになり,戦国大名も一目置く鉄砲傭兵集団として天下にその名を轟かせることになる。その紀州傭兵集団が使用した火縄銃の系譜を継いでいるのが,この地域一帯で製銃された紀州筒と呼ばれる火縄銃である。
各種の紀州鉄砲
この紀州鉄砲について,昨日,オクラホマの若い銃工の方と議論した。彼の持論は,簡単に言うと「紀州傭兵集団が使用した鉄砲は,外バネ式ではなく機関部内部にバネが仕込まれた鉄砲だった。」ということに落ち着く。私は彼の持論を聞いて,ポーンと膝を叩いた。私も彼と全く同じ考えだったからである。
紀州鉄砲は、機関部にゼンマイとカムを用いるという大きな特徴を有する。紀州鉄砲は、異なる機関部を持つ二種類の鉄砲が存在すると,彼も私も考えている。ひとつは,「出来助」に代表される外バネ式の鉄砲である。
紀州藩の「出来助」の鉄砲
出来助の鉄砲 全長134.2cm 銃身長100.0cm 口径1.3cm 和歌山県登録
もうひとつは,紀州傭兵集団が使用したと考える内部機構にバネを仕込んだ鉄砲だ。両者ともゼンマイバネを用い,火鋏みのロックは,その軸にカムを設けて掛けるしくみであることは共通する。
無名の一匁五分玉鉄砲 全長126.2cm 銃身長91.2cm 口径1.0cm 和歌山県登録
ゼンマイと棒カム(銀色部分)
このような機関部を有している点で,紀州鉄砲は,薩摩鉄砲と共通する。加えて,火挟みがナット止めで雨覆いはネジ止めされたものが多いのも,薩摩鉄砲と似かよっている。おそらくだが紀州鉄砲と薩摩鉄砲は,起源をたどれば,同じ鉄砲を祖型としている可能性が高い。
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