祭りも人も,時代の流れとともに | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

火縄銃を切り口として
日本人を考えるブログ
です。

        

 昔,人形は「ひとがた」と呼んでいたという。人間の身代わりになって,病気や不運を取り去ってくれるのが人形の始まりである。おひな様も「ひとがた」から始まった。今でもおひな様を毎年川に流すところがある。

 

 

ひな人形の基になったのは「源氏物語」や「枕草子」などにも登場する平安時代のおままごと「ひいな遊び」にいきつく。

  足利時代の末頃から桃山時代にかけて,だんだんひな祭りの形ができてき,まだまだとても質素なものだった。おひな様が豪華なものになってきたのは,江戸時代になって世の中が落ち着いてきてからである。明治に入ると男雛と女雛の左右が逆になった。文明開化と西洋化で天皇皇后両陛下の並び方が変わったからだ。

  伊達政宗の次女むう姫が,御輿入れした伊達家一門筆頭の石川家には,年中行事に関し詳細な記録が残されている。石川家の奥向きの記録「内留」には,おひな棚に飾るお供え物が列記されているが,どのように調理されていたか,もしくは,そのまま飾られたかまでは記録されていない。現在ではあまり見ることのないお供えもある。シジミやあさつきがそのいい例だ。

あさつきとハマグリ,シジミのお供え物

 

定かではないが,ひな祭りの時にまだ花の咲かない仙台では,緑があざやかな「あさつき」を花の代わりにお供えしたのかもしれない。ただ,シジミについては想像さえもつきはしない。

 ひな祭りも時代の流れに応じて様々に姿を変えてきた。私が子供の頃は,少女たちが,指ほどの小さなおひなさまを川に流す姿をよく見たものだが,そんな光景は,もう何十年異常も見たことがない。祭りも人も,時代の流れとともに変わっていく。

 

昨日の午前9時40分頃 西郷 輝彦さんが,病気でお亡くなりになったそうです。 心より、ご冥福をお祈りいたします。合掌

勝手ながら,コメント欄は閉じておきますね。

 

流し雛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』