山国の魚屋 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 山国育ちの先輩は,中学に入るまで海の魚は塩辛いものだと確信していたという。海水に含まれた塩分が,海で泳ぐ魚を塩辛い味がするのだと思っていたのだそうだ。

 流通や冷凍技術の発達していなかった昭和三十年代の山村で育った先輩の口に入る魚は,塩鮭や塩鱈,鰯の丸干し,身欠きにしん,イカの塩辛などの塩干物だった。環境というものは,人間の生活や習慣に大きな影響を及ぼす。雀百まで踊り忘れずと云うとおり,先輩は,今でも塩鮭とイカの塩辛が大好物なのである。そのおかげで,降圧剤を手放せないでいる。

 

 

  先日,阿武隈川沿いをドライブしていた時,福島県梁川町で面白い魚屋さんを見つけた。そのお店に入って,私は,先輩の山国話しを思い出し,なるほどなぁ~と独り言ちた。その魚屋さんは目黒魚店との看板を揚げているものの,塩干物しか売っていなかったのである。つまりこの店は,鮮魚ではなく塩干物の売り上げで,お飯が食べられるという不思議な魚屋だったのである。

 

魚店とは思えない店構えの目黒魚店

 

商っているのは,塩干物ばかりである。

 

 

 ここ梁川町は,海まで直線で50キロ。県都の福島市へは,20キロほど離れている内陸の町である。海に遠い町では,昔は,魚と言えば塩干物だった。そして,令和になった今でも,内陸の町では,塩干物の嗜好が強いのだろう。人間は,代替わりしても踊りを忘れられないものであるらしい。先祖から伝わった血の記憶なのであろうか。