長州の鉄砲を考える。 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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公式ハッシュタグ 令和3年3月3日 骨董品ランキング3位

 江戸時代,堺及び国友,日野の鉄砲鍛冶集団だけでなく,大藩と呼ばれる石高の多い大名家も火縄銃を量産した。例をあげれば仙台,紀州,備前岡山,長州,阿波,土佐,肥後熊本,薩摩などの大藩である。これら各藩で作られた鉄砲は,それぞれ顕著な特徴を有しており,火縄銃を知っている者なら,少し観察するだけで生産地を言い当てられるだろう。

 なぜ,このような特徴が鉄砲に現れるかと言えば,多種多様な理由がある。製銃技術元,歴史的過程,各藩の戦略意図,技術者の流れ,特定の砲術流派の採用,生産地の特性,材料の調達問題などなど様々である。物言わぬ鉄砲だが,真剣に観察すると鉄砲は,多くのことを教えてくれる。

 今,私が強い興味を抱いているのは,長州藩が作っていた鉄砲である。

長州鉄砲

 

長州藩の作っていた鉄砲は,かなり変わっている。銃床の先から銃身が10センチ近くも飛び出ており,一見不細工に見える。また銃床後方が,ゴリッと大きく,センスやバランスの悪さを感じさせる。しかも機関部は平カラクリという単純なものだ。長人怜悧と呼ばれた長州人のイメージとは,真逆の鉄砲なのである。

長州鉄砲の銃身の飛び出し

 

長州鉄砲の機関部

 

 おそらくだが,長州鉄砲は,東アジアの鉄砲をお手本とし,堺の鉄砲の影響も受けたのではないだろうか。もともと山口県は,中国などとの貿易を頻繁に行っていた大内氏の領国だったから,早くから東アジアの鉄砲が伝わっていたのかもしれない。

 

銃身の飛び出しの長い東アジアの鉄砲

 

そうでなければ,毛利元就は北九州の貿易港であった博多の覇権をめぐり大友宗麟と合戦を繰り返していたから,豊後の鉄砲の影響を受けた可能性もある。長州鉄砲ほどではないが,豊後の鉄砲も銃身の飛び出しが一般の火縄上と比較すると長いのである。

 

銃身の飛び出しのやや長い豊後(大分県)の鉄砲

未整備品,火蓋,用心金が欠。