柿なますの伝言 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 今年の冬は,12月に入り雪が一度だけ積もった以外は,暖かく穏やかな日が続いている。おかげで干し柿が,うまく出来上がらないとラインで本宅から連絡が入った。干し柿作りには寒さと寒風が欠かせないのである。

今年の干し柿の出来

寒気が凍み通らず,触るとポニョポニョするという。

 

 

 干し柿は,砂糖が取れない島国の日本人にとって,大事な菓子だった。茶人の千利休は,お茶受けの菓子に,干し柿を好んだという。織田信長も干し柿を大変好んだことが記録に残されている。永禄12年(1569年),織田信長がキリスト教宣教師のルイス・フロイスと初めて対面した際,信長は干し柿をフロイスに振舞い,土産に木箱に入れた干し柿を贈った。

        

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 干し柿より

 

 

 干し柿は,接待用の菓子であるばかりか,料理の調味料としても使われてきた。正月のおせち料理の一つ柿なますが,そのいい例だ。大根と人参のなますに、干し柿を刻みこんだんなますで,祝い事に用いる紅白の水引にあやかった縁起ものである。干し柿の甘みで甘酢に仕上がり,平安時代にはもう食されていたとされる歴史の古い料理だという。

 

柿なます

 

 つまり,あのラインは,お節料理の材料の干し柿を買って早く帰って来いという意味なのであろう。その裏には,『無視しやがったら,どうなるかわかっているのだろうな。』という恫喝が隠されているのだ。ルージュの伝言も恐いが,干し柿の伝言は,もっと恐い。こんなのをぶち込まれたら,木っ端みじんである。