仙台の鉄砲と会津の鉄砲
仙台から会津若松までは,今なら高速バスで,約190 キロ,2 時間20 分ほどしかかからない。しかし,江戸時代は道が悪かったから,仙台から会津若松までは二百数十キロはあったろうかと思われる。男の足でも6 日はかかっただろう。片道6 日の旅程となれば,今なら地球の裏のアマゾン奥地まで行けてしまう。当時の人々の距離的隔絶感は,現代とは比べ物にならないほど大きかったはずである。
仙台城ジオラマ
仙台市立博物館展示品
会津若松城(鶴ヶ城)
また藩が違えば人々の立場や気風,習慣も大きく異なる。同じ東北にあっても,仙台藩の鉄砲と会津藩の鉄砲では,姿・形がまるで違うのだ。砲術流派が違うといえばそれまでだが,子細に双方の鉄砲を見比べると,両藩の鉄砲を造る職人達の考え方まで,まるで違うように見える。藩というタガが,下々の庶民まで浸透していることを,考えさせられるのだ。
仙台藩の鉄砲
会津藩の鉄砲
親藩大名の会津藩松平家28万石,外様大名の仙台藩伊達家62万石,両者の間には,地域的隔絶間の外に思想的,気質的な隔絶間も存在するように感じられる。これが御家風というものなのだろう。