会津若松籠城 12日目
151 年前( 慶応4 年) の今日は,会津若松籠城戦が始まってから,まる12 日目の朝を迎えた。
会津若松城【鶴ヶ城】の廊下橋
本丸と二ノ丸を結ぶ廊下橋。
城内には,おおよそ5000 人が立て籠もり,うち1000 人は婦女子だったという。女性たちは,負傷者の手当てや炊き出し,鉄砲の弾丸作りも行っていたはずだ。ホコリやカビくさい櫓,天守の石垣の中で,砲声と着弾の爆裂に怯えながら必死になって弾丸づくりをする女性たちのことを考えると,いたたまれない気持ちになる。
各種の玉鋳型
火縄銃の弾を作るには,まず鉛を鉄鍋の中で溶かし、それを厚めの柄杓で掬い、ヤットコのような玉鋳型に流し込んで製作した。鉛は融点が約327.5 度と低く、囲炉裏火にかけた鉄鍋で溶かすことができるから,技術や経験がない人にでも簡単に作れてしまう。
はたして,恭順の意を表している会津藩を討つ必要があったのだろうか。会津や西洋式銃砲を考える時,私はいつも割り切れない思いで,焦燥に駆られる。
おりしも行楽の秋だ。会津若松を訪ねて,歴史の矛盾や時の流れというものを考えてみるのも一興だろう。会津に行くなら七日町通りの散策がお勧めだ。ここは古い街並だけでなく,大正ロマンの息吹も感じ取れるはずだ。火縄銃や洋式銃の展示が多い会津新撰組記念館も七日町にある。