相馬野馬追 総大将の訓示と山本寛斎氏の心意気に想う。 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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   日本 総大将の訓示と東日本大震災

 国重要無形民俗文化財「相馬野馬追」は二十七日に開幕し,中村城内での出陣式で大将の相馬行胤公は,「震災と原発事故からのさらなる復興を願い、威風堂々と行進せよ」と訓示した。東日本大震災から八年が経過したが,原発事故被災地の福島県浜通りは,未だにその傷は深い。他県の被災地は復興が進み各種産業は息を吹き返しているが,福島県浜通りはそうはなってはいない。地震や津波のほかに原発事故が重なったからだ。今でも傷は癒えず,心からは血があふれ出している。

出陣式会場に入る総大将

 

私は震災の年の5月から原発被災地で仕事をしたが,津波の傷跡も甚大だが,やはり原発事故の影響は深刻だった。それは私にとっては,大きなショックとして記憶に残っている。トラウマと言ってもいいだろう。

出陣式には,ド派手ないで立ちで,デザイナーの山本寛斎氏も見学に訪れていた。氏は震災の直後から福島県浜通りに入り,ずうっと応援し続けてくれている。このド派手ないで立ちは,原発被災地を励ますための力強いエールなのだ。これが男の心意気である。男とは,こうでありたいものだ。私も原発被災地や被災された方々の役に立ちたいと思うが,心は空回りするばかりである。

 

山本寛斎氏と相馬中村神社の宮司

 

出陣式後,総大将が率いる軍勢は相馬市を出発し,南相馬市鹿島区,原町区の三か所を行進する。途中は車移動となるが,南相馬市内で数か所の仮設住宅を目にした。福島県ホームページによれば,南相馬市には震災後三千を超える仮設住宅が建設され,令和元年六 月三十 日時点で,いまだ二十二 人の方が,暮らしているという。

 

                東日本大震災の仮設住宅