ランニング(四万十川ウルトラマラソン・171015)
2017年10月15日(日)、最低気温16℃、最高気温19℃、雨、
第23回 四万十川ウルトラマラソン100キロに、妻の春恵さんが出場しました。
前日からの雨の中、正岡さん夫婦と一緒に中村高校のグランドでキャンプしていました。春恵さんと一足先に中村に着いていた正岡さんが、グランドで一部、屋根のある駐車場をとっていてくれました。
私は、孫の航吾君の少年少女合唱団の練習が4時30分に終わってから、航吾君と中村にむかうのに2時間ほどかかりました。
テントの中で雨音が大きく聞こえていました。グランドは、轍のあとが深くなって川のように水が流れていました。そこを選手が歩き、泥ドロになっていました。
この後のグランド整備が大変です。それでも良く使わして下さいました。
翌日も、雨はやまずに、雨の中でのスタートになりました。
スタートラインで、5時30分の合図を待っています。QランナーズのTさんより励ましを受ける。
多くの選手が、雨除けのビニール袋やカッパを着ていて、気温も16℃と低く、ゴールまでカッパを着たままの選手も多く見られました。
春恵さんは、練習の時と同様に、馬油を身体にたっぷりと塗って、寒さ対策と擦れて傷になるのを防いでいました。
ポケットにも馬油(メントールが加えられたスポーツ用の馬油)の小分けを携帯していたのが、役立ったそうです。
スタートを見送り、中村高校に戻って寝袋・テントをたたんで、ランナーとは逆走する方向から四万十川に並走する県道を通って、36.6キロの昭和大橋で応援していました。
ほぼキロラップ4分で走られていた先頭ランナーから応援することができましたが、まだ、沿道での応援者は誰もいませんでした。応援バスも到着していませんでした。
友人では、鏡ダム周回コースで先日、アップダウンのトレーニングをされていた曾我部さんが、まず通過され、後半もほぼイーブンで走られて、9時間8分でゴールされました。
続いて、日高村の友人・山中さんが来られ、9時間と50分代でゴールされました。
女性の仲間うちでは、最初にO女子が通過されました。後半に疲れが出たのか、10時間19分でゴールされました。種目別では3位でした。
フルマラソンでは国際大会に出場できる資格を持っておられるスピードランナーですが、近隣の大会では仮装して肩の力を抜き、楽しく走っておられます。
今回のウルトラを走るには準備不足と前日から体調を狂わせていたので、内臓が弱り給食は受け付けられず、ゴールされてからも苦しかったと聞きました。
よくご夫婦で練習されていた古味さんには、カメラを構えるまもなく通過されてしまいました。後半も落ちることなくナイスランで、10時間16分代でゴールされました。
途中通過のネットで調べた奥さんのアップデートタイムから、奥さんが元気に、追い上げられている情報は、励みになったでしょうか。
Qランナーズの方々が、「あれっと思った」ロング走の練習をされていたのにも出会いました。
20キロ地点の山登りを2時間17分代でクリアした春恵さんが、そこからの下り坂は押さえて、36.6キロの昭和大橋にやってきました。
孫と私達が応援している近くを通ると、気持ちがくじけてはいけないので、あえて、離れたところを走っていたと言っていました。
春恵さんが39キロ地点の橋を渡っています。ここからは、県道を離れて四万十川の南岸の山道を半家の沈下橋に向かって走るようになります。
応援の私達は通れませんので、応援バスのコースと同じ県道を川下に向かいました。
半家の沈下橋を渡ってグルリとターンし折り返すと、再び山登りになります。
応援バスと同じ、そこより下った応援地点に先回りしました。そして、逆に選手が走ってくる方向に向かって坂を歩いて登っていくと、60キロの部を10時にスタートした先頭グループが下ってきました。
Qランナーズの植田さんは、4時間11分代でゴールされ、総合で3位に入賞されました。
100キロの部の古味さんも下って来られました。20キロ地点ではご主人との差がわずかで、追い上げられていました。そして、ゴールでは、11時間7分代で完走されました。
春恵さんが、なかなかやってこないので、航吾君と私が、坂を登っていき頂上を過ぎたところで、60キロの部を走っておられたK女子に久しぶりに出会いました。
以前、同じ職場で、室戸の女子駅伝が始まった時に、そして、須崎女子駅伝でも独自のチームをつくつて走っていた仲間です。7時間47分代でゴールされました。
「ナイスラン、ここからは次のカーブを曲がると頂上です。」と応援すると、みなさんが元気になられ、逆に感謝されました。
さらに坂を選手が登ってくる方向に向かって下ると、鏡地区のリオでは、朝の5時過ぎから練習されていた藤田さんが登って来られました。
気持ちは、元気げんきなのですが、長い上り坂では足が重かったようです。それでも12時間40分代で完走されました。
春恵さんとは半家の沈下橋ですれ違ったと言ってくださいました。
この地点で応援していると、20年前に私たち夫婦が取材を受けた時に、同じように取材を受けた愛知県のAさんご夫婦も走っておられたのに
出会いました。
よく覚えていてくださり、走っていた春恵さんはもとより、応援していた私も見つけて下さる。
お久しぶりです。その後も、元気に夫婦で走っておられ、四万十ウルトラマラソンにも出られていることで、私もこのままではいけないという気持ちになりました。
四万十市の郷畑さんや幡多の塩田さんも、60キロを走っておられるのに出会い、「ナイスラン」と応援する。
100キロと60キロのランナーが合流して共に励ましあってゴールを目指していました。
航吾君が心配して、頂上より500メートル以上、坂を下っていきましたが、「春恵さんは、まだ上がってこなかった。」と戻ってきました。
私も下っていくと春恵さんが歩いて登ってきました。もう少しで、頂上と励ましました。頂上からは、航吾君の励ましもあって、快調に走って下り、生き返りました。
鏡地区のリオで、ウルトラマラソン初出場で練習されていた高知大の女性が足を引きづって登って来られる。ふくらはぎが攣って走れなくなったとのこと。道路横で応急処置を行う。
ゆっくりなら走れるようになる。痛みをとるために、横走りを勧めてしばらく横走りをする。
62キロのエイドステーションまでは、たどりつきたい言われ別れる。ランナーは、四万十川の東岸をカヌー館に向かって走るコースになる。
69キロ地点、岩間の沈下橋を渡るところで応援する。残り31キロで、5時間30分以上の余裕があるランナーは、立ち止まらなければゴールできる。
しばらく応援するが、春恵さんは来ない。すでにこの地点をクリアしているかもと、航吾君と駐車場に戻りかけると、春恵さんがやってくる。
「とにかく、関門の時間には余裕がある。歩いてもゴールできる。止まらずに走っていこう。」との声かけをする。
途中から春恵さんに並走していたランナーも、「その声かけには励まされた」と、ゴールされる。
藤田さんと一緒に、いつも朝早くから練習されていた山崎さんは、春恵さんとぬきつ、ぬかれつで、13時間33分代でゴールされる。
82キロ地点で、山崎さんのすぐ後を走ってきた春恵さんは、航吾君の応援を受ける。
残り18キロ、ここまでくれば、アクシデントがなければゴールできる。
しかもコースは、緩やかな下りになっている。が、これから先は暗くなって足元が見えづらく、落ち葉や枝、小石が落ちている。
先が見えてきたことから、力も出るが、疲れもピークに達してくる。「意識を強く持って、前にまえに。」と呼びかける。
ランナーのコースから外れたバイパスを使って、中村高校のグランドに戻る。
ハンドライトを点けて、歩いて航吾君と私はラスト2キロ地点の向こうまで、ランナーを迎えに行く。道は狭く、暗く、曲がりくねり、森の中になっている。応援する人は、誰もいない。
以前は、何人かの走路員の方がおられたが、ガードレールもなく走るのには、怖さを感じた。
ラスト1.5キロ付近で、走路員の方がおられた。
私達は、ラスト1.3キロ近くでライトアップされているところを通り過ぎてくるランナーを応援して、春恵さんを待つ。「ナイスラン。もうすぐ、ラスト1キロです。」
ここでは、他に応援者はいない。
某フォート会社のカメラマンが、「私の応援の声で、ランナーの目線がそれるので、何時までここで応援するのか。離れたところに行けないか。」助手のスタッフが言いに来る。
助手の女性がランナーに呼びかける声が小さい、また、呼びかける言葉にも誠意がない。まあ、アルバイト意識が見て取れる。
悪者扱いされて、不愉快であったが、そこより30メートルほど下がり、一層大きな声で元気に呼びかける。
多くのランナーから感謝のサインが帰ってくるのが嬉しい。
なかには「最後まで応援してくれてありがとう。」と言ってくださった方もおられる。
そして、ついに、暗闇の中から、春恵さんの姿が帰ってくる。航吾君は、急いで傘をたたみ。歩道のあるところまで、先回りをして、最後の上り坂で声をかけながら歩道を走る。
13時間39分代、女性65歳以上で2位でした。
男性は70歳以上があるのに、女性はない。多分、女性の最高齢だろう。
走っている途中で、RKCテレビの取材を受けたと後に言っていたが、ゴール後にもインタビューを受ける。
「みんなにニコニコされていましたがどうしてですか?」「笑顔で走ると身体も心もゆるむからです。」
「車さんにとって走るって何ですか?」「走るのが好きだから」「走ることの答えが見つからないから走り続けている。」とか。応えていました。
スタートから14時間、午後7時30分になったレース終了の花火があがる。みなさん、お疲れ様でした。