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光をあつめて

スピリチュアルな視点で見た日常や不思議話を綴っています。

 

 

昨年、先輩ミディアムのワークショップに参加した際

鏡のお話を聞かせていただきましたが

もっとも印象に残ったのが

 

鏡(カガミ)から我(ガ)をとると、神(カミ)になる。

 
という言葉でした。
 

(ここからの写真は鎌倉の長谷寺)

 

私たちが見ている世界は現世(うつしよ)といって

それぞれのフィルターにかけられた世界が

目の前に映し出されます。

 

 

同じものを見ていても

人によって感じ方が違うのはそのためで、

同じ事柄であっても、人によって反応するポイントが違います。

 

誰にでも少なからず我というものは存在し

我は自身と他人を識別するうえで必要ですが

エゴといわれる煩悩に近い《我》は

視界に歪みズレや色をつけます。

 

そこで《我》を取り去ってこの世界を見ると、

神さまの視点に近づいていくというものです。

(自分なりの解釈です)

 

言葉遊び、語呂合わせのようでいて

深い言葉だなあと感じました。

 

 

鏡には不思議な働きがあることを

経験をもって感じています。

 

ある時期体の不調が続き、気持ちも晴れず

この不調は何であろうと思いあぐねたところ

とある人からの執念、執着、生霊といった

ネガティブな念であることに気付きました。

 

その人からは度重なる手紙や言いがかりがあり

精神を病んでいて、私が見ている世界とは、

違う世界を見ていました。

現実には起きていない事柄であっても

その人の世界の中で、私は悪人として登場するのです。

 

困り果てていたある朝のこと

 

そうだ、神社いこう!

 

そう閃いたのです。

 

(卍池 長谷寺)

 

支度をし、いつも参拝している神社に向かいます。

境内の信仰している祠の前ち

神殿の神鏡に自身の姿を映しながら手を合わせ

現在の様子を報告します。

 

この状態を解決するには、どのようにしたらいいでしょう?

と訊ねてみたところ

 

プツッ、

 

頭部に何かがはじけるような感覚があり

神鏡に映った自身の側頭部から、

小さな音を立てて煙が出ました。

 

一瞬、目が点です・・・・

 

しかしその後、自身の周りの空気の色が

ワントーン明るくなって

抜けた、と感じました。

この神社では、ではこれまでも不思議なことがありましたが

今回も助けていただきました。

 

 

私には一時、こういう経験がたくさんありました。

それも一人や二人じゃない、

執念深い女性に執着されてしまうのです。

 

もう女の人、こわい・・・です。

でも、それも仕方ありません。

 

なぜならば私の現在の直前の過去生は

 

丑の刻参りをした女性。

 

恋敵の女性に気の毒なことをしてしまい

その償いを、今生でしなくてはならなかったからです。

 

まだスピリチュアリズムの知識がない頃

枕もとに丑の刻参りのいでだちをした女性が現れ

凍りつきました。

 

悪霊退散!!本気で思いました。

 

 

でもその人も、別の時代を生きた自分です。

悪霊どころか類魂、一心同体です。

 

このように予期せぬ人間関トラブルのなかには

ご自身の生まれ変わりの記憶のなかで

清算しなければならない課題、

いわゆるカルマと言われるものが介在する場合もあります。

 

 

 

 

(ホトトギス)

 

(ホトトギス)

 

少しエネルギーが重くなったので、お花でも。

 

 

(長谷寺 観音ミュージアム)

 

次は夢の話です。若い頃に見た夢で、この夢にも《カミ》という言葉が出ます。

神さまとの交信は私はできないので、

指導霊が教育のためにみせてくれた夢と考えています。

 

夢の中で、ある土地神様のもと神さまに仕える人たちが生活する場所に

 

迷い込みます。こには沢山の人がいて、理性と感情、

同じ場所にいながら、感情や欲望を丸出しにしているひとと

そうではなく、理性を保っている人がいました。

欲望丸出しにした女性の中には土地神さまの寵愛にあずかりたく

われ先にと、すさまじいアピール合戦を繰り広げます。
するとその人たちの体や表情がいびつに変化し
動物でも魔物でもない、奇妙な人間離れした姿になっています。

 

来訪者の私は、それを見て引いています
自分も綺麗な人間ではないけど、あれはいやだな。と。

するとそこの主と思える土地神さまに呼ばれます。
土地神様の姿は見えませんが、大きな声で、こういいます。


あなた方人間は、カミ(神)とオニ(鬼)のあいだにいる。
だから人間なのだ。



その時、鬼というと真っ赤な顔で角を生やした

ポピュラーな鬼の姿しか思い浮かばず、ピンときませんでしたが
自分は思い一つでどちらにも転べる存在だ。
ということは分かりました。

 



その後、鬼についての情報を得るようになりました。

日本語の鬼という言葉は「隠(おん」の音が転じたものといわれ

鬼=隠されていて目に見えないもの。

鬼の文字=中国で「死者の霊魂」を表する文字。

「鬼」は「鬼門(きもん)」と呼ばれる北東、

丑寅の方角からやってくると考えられていたため

牛の角と虎のふんどしという、あの鬼の姿ができあがったそうです。

また陰陽五行思想では季節の変わり目に

邪気が生じるという考えがあり、節分に豆で邪気を打ち

祓い浄める儀式が生まれたそうです。


鬼とはこの世に蔓延する邪気であり、それが人と合体し増幅すると
昨年ヒットした映画 鬼滅の刃 に登場するような
かつては人であったことを忘れた、鬼になるのだと。

 

 

鬼は外、福は内、といいう掛け声には
家の中だけにとどまらず、自分の内側も外側も
浄化し、浄めていく意味があるのかもしれません。
 

 

 

 

長文になりましたが

最後までお読みいただきありがとうございました